昔の根岸の町名

By , 2013年7月6日 11:17 PM

小学校の卒業アルバムを見ていたら、卒業生名簿の住所が「西根岸坂下町」とか、「中根岸町」になっている生徒がいるのに気がつきました。
普段、余り気にして見ることもないのですが、私が小学校を卒業した時は、まだこの旧町名が使われていたわけです。

その後、小学校を卒業した年(1965年)の7月1日に、現在の町名に変更になりました。

・西根岸下町  → 下町
・西根岸坂下町 → 坂下町
・西根岸馬場町 → 馬場町
・西根岸上町  → 上町
・中根岸町   → 西町、東町

私が住んでいた原町も、○○番地から、○番○号へと住居表示が変更されました。

ちなみに、磯子区に「根岸町」と言う町名はありません。
「根岸町」は中区で、磯子区東町の隣になります。
根岸町から見て、近くが「中根岸」、西側が「西根岸」となっていたようですが、「東根岸」と言う町名はありそうで、ありませんでした。

磯子区の「根岸」と総称されている地域の町名は、よく見ると「手抜き」なんじゃないかと思うことがあります。
上町、下町、西町、東町、分かり易いと言えば分かり易いですが・・・・。

磯子町より先には、「禅馬・滝頭・浜・芦名橋・広地・間坂・屏風ヶ浦」など、歴史的な町名が多くあります。
根岸は、磯子のように史跡が多くないので、歴史に直結するような町名が無いのかなと思います。
「根岸」と言う総称が、歴史的名称と言えなくもありませんが・・・。

3 Responses to “昔の根岸の町名”

  1. 郷土史家の葛城峻氏のお宅に遊びかたがた話に行きました。(質問したいことがあったのでメールしたところ、葛城氏のコンピュータが不調とかいうことで通じず、お電話差し上げたところ、『来ませんか』と誘われました。)「磯子区近代史総合年表(明治元年から平成23年)」と、「地名で探る磯子の歴史」の2冊の小冊子をいただいてきました。
     年表をぱらぱら見てみて、(1)昭和2年に横浜に5つの区が出来、その一つが磯子区であったこと、(2)このとき、堀ノ内町と根岸町は磯子区と中区に分割され、磯子区に編入した地域に、丸山町、西根岸町の名を与えたこと、を確認しました。
     なお、古い地名は字として残っていたようですが、現在では表からは消えてしまい、調べるのも面倒になっているようです。

  2. しんのすけ says:

    根岸中学校での運動会の写真に旧型国電が写っていましたが、これは「おさがり」ではなく、随時、新性能電車に更新していきました。

    • cube-kojima says:

      しんのすけさん
      はじめまして。コメントいただきありがとうございました。
      そうですか、それではこの写真に写っている車両は、根岸線のために開発された車両だったのですね。私が中学生になったのは、根岸線が磯子まで開通した1964年から1年後でした。それから毎日のように、中学校の校舎の中から根岸線を見て来ましたが、その外観がとても新型車両とは思えなかったので、どこかの路線のお下がりかなと考えていました。
      路線が拡張され利用者が増えるに連れ、車両もどんどん新しいモダンな形に更新されて行きましたが、開通当初の車両については知識が無かったので、見た感じで書いてしまいました。お知らせいただき、ありがとうございます。

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