磯子産業道路

By , 2011年12月4日 11:53 PM

 私は磯子区の根岸に生まれ、25歳になった年の12月に栄区(当時は戸塚区)に越しました。それ以来、34年間栄区に住んでいますが、子供時代から思春期、青年期を過ごした磯子のことを懐かしく思い出します。このブログにも磯子の記事を幾つか載せましたが、磯子に関して私が記憶しているのは、引っ越す前の1977年12月までのことです。それ以降の磯子周辺の変化は記憶にないため、現在目にする磯子とのギャップが凄く、どのような変遷を経て今の姿になったのか想像することができません。

 特に国道16号線沿いの、八幡橋から森町あたりに掛けての変化には驚くばかりです。私が引っ越す前くらいまでは、磯子駅近くの16号線沿いには普通の民家が多く建っていて木々も茂り、「三宅胃腸科」などのお医者さんがありました。不二家レストランも、そんな街並みの一角に建っていたと思うのですが、今となってはその位置すら分かりません。しかし、街並みや道路が綺麗になり、バイパスや高速道路との接続も良くなり、磯子がますます発展していると思うと嬉しくなります。

 私と同様、幼少期を過ごした磯子の事を、懐かしく思い出すと言う方は多く、このブログにもコメントをいただいております。そのような方々の中で、SATURNO IOMさんとそのご友人のkouさんから、ご自身の幼少期の写真と共に貴重な資料をお送りいただきました。私の拙いブログで紹介させていただいても良いとのことですので、私自身の記憶も絡めて、数回に渡り紹介させていただきたいと思います。手始めとして「磯子産業道路」について記したいと思います。
 
左の地図は、1961年の「浜」近辺の地図です。根岸湾の第一次埋立工事は1959年2月に開始されていますので、この地図は、それから2年ほど経過した時のものです。根岸線の線路も記入されていますので、埋め立てが順調に進んでいたことが分かります。肝心の産業道路は、まだ姿形が整っていなかった頃で、16号線から埋立地に向かう道路も、磯子警察の前は狭いままです。この後、磯子区役所側の道路が拡幅され、現在の広さになります。産業道路(橙色)と根岸線の線路を挟んで、もう一本の道路(緑色)も作られています。

 この緑色の道は、埋立地に建つ工場群へのアクセス用の道路ですが、長い間、磯子駅の裏手で途切れていました。この道路の事を何と呼んでいたか記憶にありませんが、当時、少年野球に入っていた私は、この道を通り埋立が終わった工場用地まで行き、毎週のように練習や試合をしていました。中学生になった頃もこの辺りはまだ更地のままで、Uコンを飛ばしによく出掛けたものです。
 

 上の左側の写真は、整備途中の磯子産業道路を写したものです。横浜開港150周年記念行事サイトから引用させていただいた写真ですが、1963年の撮影となっています。右の写真は、幼少のころのSATURNO IOMさんと弟さんが写っていますが、工事途中の産業道路の様子が良く分かります。撮影は1963年4月5日との由ですので、左側の写真と同じ頃かもしれません。ただ左側の写真では、根岸線の送電線などが施設されていません。SATURNO IOMさんからいただいた1963年7月の写真には、立派な送電線が写っていましたので、左側の写真は、ひょっとしたら1963年以前に撮影されたものかもしれません。
 

 上の写真も、同じくSATURNO IOMさんと弟さんが写っていますが、左側が1964年5月3日の日付で、磯子産業道路が開通する直前の写真だそうです。右側の写真は、それから1年程度経過した1965年8月20日のものです。この頃は、もうかなりの交通量であったことが良く分かります。また、右側の写真のように、道路沿いにはいろいろな会社やガソリンスタンドがありましたが、時の流れと共に、介護施設やマンションなどに変わっています。
 

 左の写真は、同じく横浜開港150周年記念行事サイトから引用させていただいた写真ですが、1960年末頃に撮影されたものと思われます。写真手前には、立派な日本庭園を持ったお屋敷が写っていますが、埋立前、この辺りは料亭が建ち並んでいましたので、そのうちの一軒と思われます。ちなみに、かの有名な偕楽園は、1968年まで営業を続けたとのことです。右側の写真は、現在の様子を写したものです。歩道は「磯子プロムナード」と呼ばれ、綺麗に整備されています。この道路は産業道路と呼ばれるくらいですから、自動車の交通量緩和のための意味合いが強い道路です。そのため、16号線とは異なり殺風景な感じを受けますが、それも仕方のないことだと思います。開通当初の16号線バイパス的な道路から、金沢区の工業地帯の道路と接続されたことで、今では磯子区の産業を担う、大動脈と言っても良いと思います。
 
 左の地図は、1963年の地図です。根岸線の線路はここまでで途切れており、翌年の1964年に根岸-磯子間が開通します。冒頭に載せた地図のところで、産業道路の線路向こうにあるもう一本の道路のことを記しました。その道路の末端が、この地図に示されています。この道路は、根岸線の磯子駅を過ぎたあたりで、根岸線の線路を跨ぐように高架になり、磯子産業道路に繋がっていました。私もオートバイや自動車を運転して屏風ヶ浦方面から来た時は、信号の多い16号線や産業道路を避け、この道路をよく利用しました。

 今では、この道路は八景島まで繋がっていて、国道357号線と呼ばれています。高架になっていた部分は、今では途中で切れ、通行止めになっているようです。

※この記事に記載しました写真は、借用したものが多いため、転載しないでください。

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