磯子山から

By , 2011年12月16日 2:49 PM

 左の写真(A)は1962年に磯子山から根岸湾を望んだものです。写真に写っているのは小学生の私ですが、ここはどこだったのか全く記憶にありません。この写真が、アルバムにポツンと貼ってあることは知っていたのですが、写っている本人も写した当人(父親です)も、ここがどこなのか憶えていませんので、汐見台の造成地じゃないのかと言う結論になっていました。ところが、SATURNO IOMさんの検証で、ここは「磯子配水池」の造成現場だったと言うことが分かりました。

 写真の右側に写っているビルは「日本発条」のビルであること、写真に写っている林が手前と奥と二重になっているため峰が2つあっただろうこと、そしてニョキッと突き出した背の高い3本の木の、左側の木と真ん中の木の間に「金蔵院」と思われる大きな建物の屋根が写っていること、それに当時のカメラの標準的なレンズの撮影角度を加味し、更に進駐軍(古い・・・)が作成した等高線の入った地図と重ね合わせて検証した結果、ここは「磯子配水池」の造成現場だろうとの結論になったそうです。

 もっと海に近い場所では、これらの建物が一緒に写り込むことはありませんので、それが正しい結論だと思います。場所の特定ができて、改めて写真を見ると、そこには埋立竣工前の根岸湾の姿がありました。ただ、山に遮られて海岸線に近いところは写っていませんので、実際には、かなり埋立は進んでいたのではないかと思います。本牧岬が海に迫り出しているところなどを見ると、この景色が今でも残っていたらと、未練がましく思うのは私だけではないと思います。
 
 この写真(B)は、上の写真より幾分根岸寄りの場所から写したもので、SATURNO IOMさん所蔵のものです。この写真は1964年11月に撮られたそうですから、根岸から磯子に掛けての埋め立てが終り、根岸線も磯子まで延伸し、これから周辺の工業地帯が稼働し始めようとしている頃のものです。

 写真の真ん中辺りには、根岸の製油所のタンクが見え、その左手には、工場の煙突なども見えます。上の写真とはたった2年程度の違いしかありませんが、こんなに変貌してしまうものなんですね。この時はまだ、磯子の山は健在でしたが、数年後には切り崩され、宅地造成が始まります。
 
 左の写真(C)は、真照寺傍の山から撮ったもので、正面に写っている木造の大きな建物は、磯子小学校です。これもSATURNO IOMさん所蔵の写真ですが、磯子の山を歩く時は、真照寺の脇から山に入ることが多かったそうです。写真右側に写っている大きな建物は「バブコック日立」の工場だと思います。

 私は中学生の頃にアマチュア無線を始めたとブログに書きましたが、その頃いろいろお世話になった人が、この近くにお住まいでした。現在の腰越プールがある後ろの山が、当時は緩やかな丘のようになっていて、そこに登ってはポータプルトランシーバー(TRIO TR-1000)で交信したものでした。丘の頂上には岡村の「金魚池」がありました。
 
 上に掲載した写真の場所を現在の地図に記すと、左の画像のようになります。一番上の写真から順番にA・B・Cと番号付けしています。
 
 
 
 
 
 
 

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