Lotus EUROPA-1974年夏の旅行

By , 2011年5月26日 10:37 PM

197408_1 1974年8月4日、前年に続きロータスでまたまた無謀な旅行に出掛けました。今回の旅行は、倉敷の友人を訪ねることが目的でしたが、どうせ行くならと貧乏根性を出した結果、横浜-新潟-金沢-福井-倉敷-京都-横浜と言う、壮大な旅行になってしまいました。前年の夏、エランに乗って行った京都旅行で痛い目に遭っているのに、性懲りも無くまたロータスで出掛けようとするのですから、我ながら良い根性をしていると思ったものでした。

 但し今回は、知人の厚意でヨーロッパを借りて出掛けることにしましたので、これが無謀な行動に走った、最大の理由かも知れません。1日目は、横浜から東京を抜け高崎方面に出て、新潟を目指して行けるところまで行く!という予定でした。現在のように、横浜-新潟間が全て高速で接続されているのならばともかく、元々無謀な予定であることは間違いなく、高崎を過ぎる頃には夕方になり(上の写真)、何とか長岡にたどり着いた時は夜中と言ってよい時間になっていました。
 
197408_2 2日目は長岡から国道8号線に出て、海岸線の景色を楽しみながら走り続けました。道路は比較的空いていて、適度に曲がりくねった所もあり、夏の暑さの中でしたが気分良くドライブすることができました。日本海は、神奈川から静岡辺りにかけた太平洋側の海とは雰囲気が違い、男性的で荒々しい感じを受けました。

 途中途中で写真を撮りながらのんびり走っていたせいか、金沢に着く頃は夕方になってしまい、とあるレストランで夕食を摂ろうとしたした時、運転席側のウィンドウが上がらず往生しました。こんな時、パワーウィンドウは善し悪しです。暫く放っておいたら自然治癒??したので、食事をしてから宿泊するホテルを探すことにしました。
 
197408_3 3日目は、金沢から倉敷を目指しました。かなりの長丁場ですから、途中、東尋坊で休憩しただけで、ひたすら倉敷を目指して走りました。右上の写真は、東尋坊でしばし休憩した時に撮ったものです。左の写真は、福井から京都方面へ向かう途中に撮影したものです。この時、たまたま坂の頂上付近で停ったのですが、通り掛かりの白バイ氏に「頂上付近の駐停車は禁止」と説教されました。この暑い中ご苦労な事です、などと毒づきながらヨーロッパに乗りこみ、倉敷を目指しました。

 倉敷に着いた時は、案の定、夜近くになっていて、カーナビも携帯電話も無い時代ですから、散々道に迷いながら、やっと知人の家に辿り着く事ができました。暗くなり始めた中、右も左も分からない土地で目的の場所を探すのは、何とも神経が疲れるものです。まして視界が余り良くない、ペッタンコの車の中から外を見てここは何処だ?とかやっているわけですから、簡単に探し出せるわけがありません。倉敷の駅や商店街の周辺はごちゃごちゃしていて車の中からの視界が効かず、どうしたらこの混雑から抜け出せるのか真剣に悩んだくらいです。
 
197408_4 前日着いたのが夜だったため、知人宅の周りの様子は良く分かりませんでしたが、一夜明けた4日目は、気持ちの良い朝を迎えることができました。住宅街は適度な余裕があり、また、ところどころ田畑が残っていて、落ち着いた時の流れを感じることができました。昨日の喧騒が全く嘘のようで、こんな環境に住んでいる知人を羨ましく感じたものです。

 早速、あちらこちらと写真を撮ったのですが、ヨーロッパは周りの風景に全くマッチしていないことに気付きました。コマーシャルフォトで見掛けるように、これがイギリスの田舎町あたりだと見事に調和するのですが、この後訪れた京都の社寺でも、やはり何となくしっくり来ませんでした。自動車にも、それぞれの生産国の伝統や気風が息づいているのだなと感じた次第です。
 

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 上の2枚の写真は、倉敷川とアイビースクエアです。知人宅はこの直ぐ近くだったため、美観地区をゆっくりと観光することができました。この頃はまだ、整備途中の建物などがあったため雑然とした場所もありましたが、総じて落ち着いた佇いを味わうことができました。この日は京都まで行く予定でしたので、昼食を済ませ知人に別れを告げ、国道2号線をひた走ることにしました。今でこそ、山陽自動車道、中国自動車道が整備されたお陰で、短時間で移動できるようになりましたが、この頃の主要道路は2号線しかありませんでした。

 2号線が混雑すると、脇道など知らない「おのぼりさん」にはどうすることもできず、じっと空くのを待つしかありません。翌年、GTRで九州を目指した時は渋滞に遭い、延々と無駄な時間を浪費したのですが、この時は幸いなことに渋滞と言うほどの混雑は無く、比較的スムースに名神高速に乗れたため、明るい内に京都に着くことができました。
 
197408_7 左の写真は、ヨーロッパのダッシュボード周りです。名神高速を走行中に撮ったものです。ウッドパネルが使われていたりするため、一見高級な感じに見えますが、良く良く見るとチャチな作りが分かってしまいます。とは言え、ロータスをジャガーと比較するのは間違いで、走りに徹した成り立ちを考えれば、機能的にも情緒的にも理に適っているのではないかと思います。

 シートに座ってしまえば、ほとんど身動きすることはできませんし、前かがみになるとフロントガラスに頭をぶつけてしまうほど、余分な室内空間は残されていません。そんな、運転するためだけに生まれて来たような車ですから、華美な装飾は不要です。エランもそうでしたが、ヨーロッパも、手を延ばせば、あるべきところにスイッチやレバーがある、と言う感覚が大切にされているように思います。ただ、機能的と言っても、ドイツ車のように素っ気ないわけではないところが、やはりイギリスの車だなと感じます。
 
197408_8 5日目は、京都観光をしてから横浜まで帰ることにして、前の年にも訪れた宇治の平等院に寄ってみることにしました。写真は、平等院の駐車場で撮ったものです。この年以降、何回か近くまでは行くのですが、平等院に寄るチャンスが無く、今では周りの状況も随分変わっているのだろうなと思っています。写真に写っているバンを見ると、確かに40年近く前の写真だと納得できるのですが、ヨーロッパに目を移すと、何か場違いな印象があり、同じ時期に存在した車同士とは、とてものこと思えません。

 近年、路上で時々見掛けるヨーロッパはどれも元気で、綺麗な状態に保たれています。オーナーの方達が、余程大事にされているのでしょう。新車で販売されていた時から既に40年の歳月が流れていますので、ヨーロッパを維持するためにはそれなりの労力が必要と思われますが、1台でも多く生きながらえて欲しいものです。絶対的な個体数が少なくなっていますので、私の「次はヨーロッパ」と言う願いは、いつになったら実現できることやら分かりません。今となっては、もう無理かもしれませんね。

南九州の旅-1993年

By , 2011年5月18日 5:26 PM

19930804 仕事の関係で、旅行に出掛けられるほど長期の休みが取れなかったのですが、この年は夏休みと併せて10日間程度の休みが取れましたので、久し振りに夫婦2人で九州へ出掛けることにしました。休日を少しでも有効に使いたいと考え、行き帰りとも川崎-日向のフェリーを利用することにしました。しかし、台風の影響でこの計画はもろくも崩れ、帰路は台風の風雨と戦いながら、熊本から横浜を目指して延々と走り続けることになるのでした。

 上の写真は、川崎から日向に向かうフェリー(マリンエキスプレス)の1等船室の様子です。豪華ではありませんが、バス、冷蔵庫、テレビなどと共にデッキが備えられていて、快適な船旅を過ごせるようになっていました。
下の画像は、マリンエキスプレスの運航予定表です。これは、今は無くなってしまいましたが、マリンエキスプレスのホームページに掲載されていたものです。ホームページが公開されたのはもっと後年になってからですが、1993年当時と運行時間に大きな違いはなかったように思います。

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19930806_1 運行予定表でも分かりますが、日向に着くのは、出航翌日の夕方です。この時間から青島を目指しても、青島に着く頃には暗くなってしまいますので、九州での初日はシーガイアのホテルに宿泊することにしました。

 次の日は台風の影響で雨降りとなり、青島はかなり強い横なぐりの雨でした。この状況ではゆっくり参拝していられませんので、早々に青島を後にして、日南海岸を横に見ながら鵜戸神宮を目指しました。鵜戸神宮を参拝するのは、この時が初めてでしたので、昼食を摂りながらゆっくりと参拝しました。雨は相変わらず強く降っていて、その影響か、都井岬方面へ向う海岸沿いの道が通行止めになっていました。このため、迂回路になっていた南郷から串間へ抜ける山間の道を走り、やっと都井岬に辿り着くことができました。後のニュースで知ったのですが、この日、8月6日は、鹿児島で台風による大災害が発生していました。
 
19930806_3 都井岬では、駒止めの門を過ぎて直ぐに、野生馬に行く手を塞がれました。写真に写っている前を走る白い車も、彼らに足止めされていて、私達の車が近づいたためにやっと解放されたようでした。挨拶してくれるのは嬉しいのですが、もう少し手短にしていただけないかと・・・。
台風の風雨に翻弄された1日となりましたが、このようにして、何とか都井岬に着く事ができたのでした。都井岬のホテルに落ち着き、鹿児島の災害をニュースで知り、被災された方々の無事を祈らずには居られませんでした。
 
19930807_2 この旅のお供は、MR2-GTでした。この頃我が家には、父が所有しているセダンがありましたので、いい歳をして性懲りもなく2座席スポーツを購入したのでした。GTR以降、TE37レビン、ホンダシティ、セリカXXターボと、セダン系ばかり乗っていましたので、久々のスポーツカーにワクワクしたものです。

 この写真に写っているとおり、宿泊はおなじみの都井岬観光ホテルにしました。少しゆっくりしたいとの思いから都井岬では2泊することにしましたが、久し振りに訪れたホテルの凋落ぶりは痛々しいほどでした。1975年に訪れた時は、白亜の大変綺麗な建物でしたが、この時は黒く汚れた外観になっていて、建物のメンテナンスがされていないことが一目で分かりました。台風の影響もあったのでしょうが、青島周辺のお店やホテルも元気が無く、観光地宮崎の低迷ぶりを感じたものです。
 
19930807_5 都井岬には2泊し、都井岬灯台、南灯台、御崎神社などを回りました。都井岬に着いた日は強い雨降りでしたが、一夜明けて天気は回復し、2日目は日が差し込む程になりました。台風の影響からか、どこに行っても人は疎らで、御崎神社の参拝客は我々2人だけでした。

 この神社は、航海の安全と縁結びの神として知られているそうですが、他にひと気の無いことも手伝って、何か妙な感じがしました。ここを訪れるのは、この時が3度目でしたが、このように感じたのは初めてでした。霊感など一切持ち合せていない私が、何か落ち着かないそわそわした気分になり、長居してはいけないように感じたのです。前の日に、鹿児島で発生した大災害の影響があったのかもしれません。どのような形にしても、人の生き死にには大変厳粛なものを感じます。今年2011年は、東日本大震災で多くの方が亡くなられました。予期せぬ震災で命を落とされた方々に、改めて心より哀悼の祈りを捧げたいと思います。
 
19930808_1 都井岬に2泊した翌日は、風が強いものの大変良い天気になり、鹿屋を経由して、一路佐多岬を目指しました。佐多岬では、前回1975年に訪れた時と同様、展望台までの道を歩きました。散策する道の両側にはハイビスカスが咲き乱れ、久し振りに南国気分を満喫しました。この頃は未だ、展望台もしっかりとしており、ガラス窓に顔を近づけ周囲の景色を堪能することができました。

 最近、動画サイトの映像で、佐多岬の展望台が朽ち果て、今にも崩壊しそうになっているのを見ました。整備するための費用が捻出できないと言う理由で、放置されたままになっているそうです。佐多岬ほどのメジャーな場所でさえそのような状況なのですから、今後、南九州の観光地はどのようになってしまうのか心配です。何とか昔のような賑わいを、取り戻して欲しいものです。
 
19930808_3 その後、佐多岬から鹿屋方面に少し戻り、根占港からフェリーに乗り指宿へ渡ることにしました。桜島に寄りながら鹿児島湾を1周して指宿に行くコースも考えたのですが、指宿の次は霧島に宿泊する予定だったため同じコースを2度走ることになるので、桜島へ行くのは諦めることにしました。フェリーはあっと言う間に指宿に着き、宿泊するホテルを探すのに多少迷いましたが、時間を持て余すことになりました。この日の内は、天気が崩れることも無く、ホテルから見る指宿の夜景が美しかったことを憶えています。

 

19930808_4 指宿では、そんな平和な夜を過ごしたのですが、次の日は、またまた風雨の荒天となりました。指宿から一般国道を走り、鹿児島を過ぎ霧島に入る頃には風雨も一段と強くなり、立ち寄る予定にしていた観光地には寄らず、当日宿泊するホテルを目指しました。霧島のホテルに着き、明日の天気がどうなるか調べたのですが、大型の台風が来ているとのことで、荒天は避けられないことになりました。

 そうなると、川崎行きのフェリーが出航するかどうかが大きな問題になって来ます。フェリー会社に連絡すると「明日は欠航になりました」とのつれない返事が返って来ました。それからは、どうやって横浜まで帰るかに腐心することになり、地図と首っ引きで予定を考えました。手持ちの資金が心配だったこともあり、取り敢えず熊本まで出て予約していたフェリー代金の払い戻しを受けてから、九州自動車道に乗ることにしました。

 霧島に宿泊した翌日、台風は既に過ぎ去っていて、弱い雨がそぼ降っていました。台風の影響と思いますが、主要道が所々通行止めになっていたため大渋滞している場所があり、熊本まで行くのに5時間程掛かりました。やっと熊本に着いた頃には雨も止み、フェリー代金の払い戻しを受けて、ようやく九州自動車道に乗ることができました。あとは、中国自動車道、名神高速、東名高速を利用し、横浜までまっしぐらに走り続けるだけでした。

 が、事はそう簡単には進まず、何と名神高速の途中で、とっくに過ぎ去ったはずの台風に追い付いてしまったのです。夜の暗闇の中、120km/hくらいの速度で台風の中に突っ込んでしまったのですが、その途端、激しい風雨のため視界は5m程度になり、見えるのは目の前の道路の白線だけで、その先の道がカーブしているのかどうかも分からない状態に陥ってしまいました。高速道路ですから、追突される危険性を考えると速度を落としてのろのろと走るわけにも行かず、隣の車線に何が走っているか見えないため車線変更もできず、長いドライブ経験の中でも最大のピンチを迎えたのでした。こんな時、背の低い車は視界が効かず、怖い思いをすることになります。

 暫くしてフト横を見ると直ぐ近くに大型車のテールランプと、それに続く大型車のヘッドライトが後方にぼんやりと見えるではありませんか。これぞ神の救い!、そそくさと前を行く大型車の後ろに張り付くことにしました。そのテールランプを頼りに30分ほど悪戦苦闘していると徐々に視界が開け始めたので、直近のサービスエリアに入り台風が完全に過ぎ去るのを待つことにしました。この間、嫁さんは隣で熟睡していたため、怖い思いをさせずに済んだことがせめてもの救いでした。霧島からの帰路の走行距離は約1200kmでした。その距離を下道5時間+高速16時間を掛けて走ったのですが、疲れ切ってしまったのは言うまでもありません。それからの数日間は、さすがに車を運転する気にはなれませんでした。

928GTS

By , 2011年5月13日 12:54 AM

 娘が成長するに連れ、911では家族3人乗るのに狭くなり、止むなく乗り替えることにしました。911Turboの後となると、どの車を選ぶかが問題になります。歳も歳ですし、国産の大人しいセダンにしようかとも考えたのですが、直ぐに飽きてしまうことは明らかでした。いろいろと考えた末に、FRポルシェに一度は乗ってみようかと思い、928を探すことにしました。928でしたら、あと数年は家族3人で乗れそうでしたし、928でも狭くなったら、その時はセダンに乗り替えれば良いと考えることにしました。

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 一般的に言って、928に対する評価は決して高くないように思います。それは多分、 911程のピュアさが無く、そして余り格好良いとは言えないからだと思います。しかし、写真などを見て、どのような形か理解しているつもりでも、実物に接すると 928の印象は大きく異なったものになります。911 の場合もそうですが、写真など、平面的な印象だけで判断してしまうとポルシェ各車の造形は、どれも不恰好に見えてしまいます。しかし、どの車種であれ実物に接した時の存在感と迫力は相当なもので、928 も写真から受ける印象とは逆に、かなりの好印象を持つことができました。
 

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 私が購入した928は、928GTSでした。この車は車体幅が1.9mあり、S4よりワイド化されています。これは、より太いタイヤを履くために前後のフェンダーがブリスター形状となったためです。ちなみに928GTSの日本仕様は、ブリスター形状の前フェンダーが更にオーバーフェンダーになっていますが、これは日本独自の仕様です。このオーバーフェンダーは、当時の輸入元であったミツワ自動車が付けていたようですが、今ではもう入手できないそうです。
 

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 エンジンは5.4LV8で、350馬力と言うスペックでした。ミッションは4速ATでメルセデス製のものですが、キックダウンが鈍く、またシフトアップも決してスムーズではありませんでした。ミッションをOHしても状況は変りませんでしたので、これが元々の特性なのだと思います。加えて、発進は常に2速からでしたので、全体的に何となくダルな印象が付きまとっていました。Dレンジから1速まで変速レバーを動かし、再びDレンジに戻すと、その時だけは1速発進となりますが、信号で止まる度にこの操作を行うわけにも行かないため、ATの問題はあきらめることにしていました。MT車であれば、印象はまた違ったものになっていたかもしれませんが、928のMT車に乗ったことがありませんので、何とも言えません。

 また、タイヤが太いせいか道路の轍にハンドルを取られ、狭い道では結構神経を使わされました。タイヤを代えアライメントを取り直してみましたが、状況はあまり改善されませんでした。太いタイヤを履いていても轍に鈍感な車もありますので、単にタイヤの太さだけではなく、サスペンションジオメトリ等が関係しているのではないかと思われます。日本の道路事情に余りマッチしないATと、轍に敏感な性質が改善されれば、毎日の足としても何不便なく利用することができます。車体幅の問題は、基本的に視界が良いこともあり、慣れれば全く気にならなくなります。
 

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 928はハッチバック形式のボディでしたので、天地には浅いものの、荷物もそこそこ積むことができました。また、狭いながらも快適な後席が備わっていましたので、子供専用と割り切ればファミリカーの代わりにもなります。内装は淡いグリーンで、最初は奇異に感じましたが、慣れると良い色に思えて来ます。この頃のポルシェは、ピンクや紫と言った純正色が用意されていて、またそれに呼応するような奇抜な室内色も選べましたが、これもやはり実物と写真とでは、かなり印象が異なります。

 928は、ポルシェが本気で豪華で高性能なGTカーを作ろうとした結果生まれたものだと思いますが、基本設計が1978年と古いままでATや補器類の選別も拙く、加えて超高価であったため、少なくとも日本ではその良さが理解されなかったように思います。勿論、操縦性や高速安定性、そして速さは、現在の路上でも充分通用します。

 5~6年前までは時々見掛けたのですが、ここ数年めっきり数が少なくなったように思います。あと10年もすればビンテージカーの仲間入りを果たし、珍重されるかもしれません。最後に928GTSのメンテナンスですが、911Turboよりもお金が掛かり、そしてちょくちょく壊れます。928特有のウィークポイントが幾つかありますので、まとめて手を入れてしまえば、暫くの間、大きな出費はしないで済むのではないかと思います。
メンテナンスに掛かる費用・労力を厭わなければ、総じて928は良い車だと思います。911ほどの特徴はありませんが、所有する喜びを感じさせてくれる1台です。

続911Turbo

By , 2011年5月9日 10:15 AM

19990627 911Turboを購入してから1年ほど経った時、いろいろな情報を得たくてインターネット上を探し回りました。その時、ポルシェのMLクラブがあることを知り、早速入会させていただきました。左側の写真は、そのクラブに入会して初めてミーティングに参加した時のものです。写真の女の子は、上の2人の子とはちょっと歳の離れた一番下の子で、当時5歳の可愛い盛りでした。その娘も、つい先日17歳の誕生日を迎えました。時の移ろいは、誠に早いものです。

 私が小学生の頃は、1日がものすごく長くて、小学校の6年間は永遠に続くのではないかと思ったほどでした。それが中学・高校・大学に進むにつれて徐々に短くなり出し、50歳を過ぎてからは、急坂をころげおちているのではないかと思うほど、1年が瞬く間に過ぎて行きます。だからこそ1日1日を大切に、意義ある生き方をしたいと思うのですが、楽な方へ楽な方へと流れて行くのは、人間の悲しい性なのでしょうか・・・。
 
19990911 964タイプまでの、フェンダーの峰が高い911を運転している時の景色は、大凡右の写真のようになります。フェンダーの峰が目印になり、車幅を読むための大きな助けになります。「白い911に乗っていると、フェンダーの峰が女性の太もものように見えて、ちょっと艶めかしい」と言う名文句が雑誌に載っていたことがありますが、不幸なことに、そう感じたことは一度もありませんでした。

 と言うのも、この頃の911は、街中において決して安楽に乗れる車ではなかったからです。ハンドルもクラッチも重く、道路の不整に影響され易く、そして常にピッチングと戦っているようで、ドライバーに掛かるストレスは大きなものがありました。964になってパワーアシストが装備され、リアサスペンションが改良されたことで、それらは徐々に解消されて行ったのですが、それまでは大きな緊張感を必要とする車でした。これは、オーバーステアが云々と言う話ではなく、街中をゆっくりと流している時でも同じで、緊張がほぐれるのはエンジンを停めた時です。

 高速道路やサーキットをそれなりの速度で走ると、これらの問題は一気に解消します。なるほど、911とはそう言う車なんだなと、妙に納得したことを憶えています。この感覚は、一度でも古い911に乗れば、お分かりいただけるだろうと思います。お陰で911に乗って以降、どんな安楽な車に乗っても眠くなることはなくなりました。車に乗ると緊張することが、癖になってしまったのでしょう。
 
19991106 左の写真は、クラブのミーティングで鈴鹿に出掛けた時のものです。この時は、20台以上のポルシェと40人近い参加者が居て、大変盛り上がりました。鈴鹿サーキットも東コースでしたが、2時間程度借り切ってファミリー走行、スポーツ走行と楽しみました。これだけの車が集まると、紳士然としたメンバーも、体の良い暴走族に変身します。本物の暴走族との違いは、赤信号では止まること位で、スピードに於いては本物を遥かに凌駕するほどでした。恐ろしや・・・。 
 
 
 
19991107 右の写真は、鈴鹿を走った翌日に、宿泊したホテルの駐車場で撮ったものです。この時は、911を買ってから1年半余り経過していましたが、メンテナンスに掛かった費用は約150万円ほどになっていました。高性能は、ロハでは手に入らないことの良い証明です。タイヤも2セット目でしたし、オイルも高価な指定銘柄を3000km程度で交換していました。空冷の911には化学合成オイルのようにサラサラしたものはダメで、比較的硬めのオイルが適していたようです。フィルターも交換するとオイルは10リッター近く入りましたので、それだけで数万円の出費となります。随分お金が掛かるなと思うこともありましたが、その度、911Turboのあの後姿がちらつき、結局はうやむやの内に時が過ぎるのでした。
 
20010519 左の写真もクラブのミーティングの時のものです。この時も荒天で、鈴鹿行きの時を除いて、いつも雨にたたられていたように思います。911で雨中を走る時、一番気をつけなければいけないのは深い水溜りです。タイヤの銘柄によって状況は多少変わるのですが、フロントが軽いと言うことを常に意識している必要があります。

 雨の高速道路をいい気になって飛ばしていて、深い水溜りに遭遇すると、必ずと言って良いほど滑ります。それも、カウンターが必要なくらいに。水溜りに突っ込んでも、常識的な速度で走っている分には問題は起きませんので、例え道路が空いていても雨の日はゆっくりと走るに限ります。そんなこんなで6年近く乗った911Turboも、娘の成長に合わせてお役御免になる日が近づいて来ました。次に所有した車が、911Turboに輪を掛けて面倒な車であったことを、この時私は知る由もありませんでした。

911Turbo

By , 2011年5月7日 11:00 PM

19980720_5 何かの気の迷いからGTRを手放し、それ以降国産の危なげない車を乗り継いで来ました。どの車も1度として故障したことは無く、オイル交換と定期点検だけしておけば、乗りっぱなしにできました。そんなある日、何の脈略もなく、マセラティ ビトルボSiと言う超弩級の車を買うことになりました。何が超弩級なのかは敢えて書きませんが、良い意味で驚いたのは、高速道路での安定性でした。速度を上げれば上げるほど、路面にへばり付くように感じるのです。このような感じを受けた車は、少なくとも私が乗った限りでは、後にも先にもこの車だけです。

 しかし、その超弩級性が災いして、1年足らずで手放すことになりました。それから暫くの間、自分の車は所有しなかったのですが、知人が911に乗っていて、911もなかなか良いなと思うようになりました。それまでは、お椀をかぶせたような形がどうも好きになれなかったのですが、実物に触れて、実際に運転してみると、その良さが実感できました。
 
19980720_6 911と言えば、私の気持ちの中では、それは911ターボのことでした。それも、フェンダーの峰が高い930、964までのモデルです。私が911を探し始めたのは、水冷911が発表される直前でしたので、930、964モデルは、既にかなり低年式のモデルとなっていました。それでも、ターボとなると中古車の数は極端に少なく高価で、探し始めてから半年後に、ようやく購入することができました。

 911ターボを購入してからは、毎度おなじみの、車と格闘する日々が続きました。先ずは、気になる箇所の改善が先決でした。大きな問題は、とにかく真直ぐ走らないことでした。速度に関係なく道路の轍に敏感に反応し、チョロチョロと落ち着かないのです。タイヤを交換しアライメントを取り直し、やっと何とか市街地でも高速でも満足できる形になりました。前の所有者はどうしていたんだろうと、思わず首を傾げたものです。
 
19980720_11 その後、気になっていたブレーキ回りのオーバーホールや、オイル漏れの修理、エンジン調整、補機類の交換、ダンパーやアブソーバー、ブッシュなど足回りのオーバーホールを行いました。手を入れなくても暫くは乗っていられたのですが、気になり出すと落ち着きませんので、一気にメンテナンスすることにしました。しかし、そのような苦労も、この後姿を見るだけで癒されたものです。私がターボに拘った訳は、正にこの後姿にあります。

 911は、「きちんとした整備をすれば、新車に近い状態に戻せる」と言われています。新車はオーバーとしても、このメンテナンスを実施したことで、その言葉を実感することができました。ボディ剛性の高さは巷でささやかれていたとおりで、それがあるからこそ、消耗品を交換するだけで、いつまでも高性能を維持できるのだろうと感じました。ある時、車を良く知らない方を乗せたことがあるのですが、他の車と違う囲まれ感と安心感があると言われました。私自身、運転していて、いつもそう感じていましたので、やはり911は並大抵の車ではないのだと思った次第です。

南九州の旅-1975年

By , 2011年5月4日 11:19 AM

197511-5 Skyline GTRの記事に書いたとおり、1975年11月の南九州への旅行は、行きは東名・名神・中国自動車道、そして国道2号線を利用して陸路で熊本に入り、帰りは宮崎の日向からフェリーを利用して海路で、神奈川県の川崎に帰ると言う旅程でした。第1日目は、夕方3時頃に横浜を出て京都で1泊。2日目は、京都観光をしてから、国道2号線で広島まで行き、広島に宿泊。3日目は広島から熊本を目指し、熊本市内のホテルに宿泊しました。

 九州に入るまで随分と日数が掛かりましたが、途中途中で用事があったことと、中国自動車道が部分的にしか開通していなかったことが影響していました。1993年8月に南九州へ旅行した時は、台風の影響でフェリーが出航せず、止む無く熊本から横浜まで陸路で帰って来ました。その時は、約1200kmの距離を16時間程度で走り切ったのですが、熊本から東名の横浜インターまで、ずっと高速道路だけを走って来れましたので、この時間で帰れたのだと思います。

 旅行の4日目は、熊本から球磨川グリーンラインを通り、えびの高原経由で霧島に向いました。途中、もの凄い霧が発生し、視界が5m程度と言った状況が続いた後、やっと霧島に着きました。5日目は、霧島から桜島を通り、佐多岬に向かいました。高校の修学旅行では佐多岬に行けなかったので、この旅行では大変楽しみにしていました。

 駐車場に車を止めて、佐多岬の展望台まで結構な距離を歩きましたが、途中ハイビスカスが咲き乱れていて、南国情緒を満喫することができました。11月になれば多少なりとも寒さを覚えるものですが、佐多岬に向かう途中で子供が半ズボン、ランニングシャツ姿で遊んでいたのには驚きました。やはり南九州は温かいのだなと、実感した次第です。佐多岬を後にして、鹿屋経由で当日の宿泊地の都井岬に向かいました。
 

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197511-6 都井岬では、都井岬観光ホテル(旧国民宿舎黒潮荘)に宿泊しました。このホテルは、高校の修学旅行で宿泊した思い出のあるホテルです。修学旅行の頃は、右上の写真に写っている東館と呼ばれる建屋は無かったのですが、この時は東館が建っていました。修学旅行の時は本館が建ってから5年目、この旅行の時は東館が建ってから2年目で、両方ともとても綺麗な状態の時に宿泊することができました。

 東館ができてからは一般の宿泊客は東館、修学旅行生は本館に宿泊する形になっていたようです。この時も、修学旅行の生徒が宿泊していたようでした。写真のように、都井岬には至る所に野生馬が居て、人を見つけると興味深そうに寄って来ます。大丈夫と分かっていても、近づいて来られると噛まれそうで、思わず尻込みをしてしまいます。
 

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197511-12 6日目は都井岬から日南海岸を通り、堀切峠やサボテン公園でゆっくりと景観を楽しみながら青島を目指しました。右上の写真は、青島入口の交差点の様子を撮ったものです。Googleストリートビューを見る限り、今も変わっていないように思えます。高校の修学旅行の時は、青島に続く参道沿いに、宿泊したホテル(青島館?)が建っていたように記憶していますが、この時はそのホテルを見つけることはできませんでした。既に廃業してしまっていたのかも知れません。

 修学旅行の時、そしてこの旅行の時、青島を始めとして宮崎周辺は大変賑わっていたように思います。1993年に再度訪れた時は、台風の影響もあったのだと思いますが、何となく活気が無いように感じられたものです。サボテン公園など有名な観光スポットも次々と閉鎖され、昨年2010年には、都井岬観光ホテルも閉館になりました。近い内に、また南九州に出掛けたいと考えていますが、少しでも昔の活気が戻ることを期待して止みません。

 翌日の7日目は、宮崎サファリパークと子供の国を訪れました。宮崎サファリパークは、日本最初のサファリパークとして1975年11月1日にオープンしたそうです。私が訪れたのは、それからわずか1週間程度後のことでした。そんな状況でしたから、サファリパークの中は未だ完全に整備されておらず、広い敷地に動物が無造作に点在していると言った感じでした。そのサファリパークも、1986年11月に閉園されたそうです。
 

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 その後、サファリパーク、子供の国を後にして、日向のフェリー乗り場を目指しました。フェリーの出航は午後8時頃だったと記憶しています。日向に向かう途中の一ッ葉有料道路は大変空いていて、反対車線を走って来る数台の車とすれ違っただけでした。右上の写真は、日向細島港のフェリー乗り場です。時間が早いせいか、乗船する予定の車が、まだあまり集まっていませんでした。フェリーに乗ってから20時間後には川崎に到着し、長い旅も終りを迎えました。

 この旅行の総走行距離は約2000kmでした。GTRは一度も調子を崩すこと無く、終始快調に走り続けてくれました。家に帰り着いた翌日に、エンジンオイルの交換などを行いリフレッシュさせましたが、その後も大きな故障など無く、快調に動き続けてくれました。街中のノロノロ運転でプラグがカブるなどと言うことは一度として無く、3連のキャブレターを正確に調整してあげれば、1年程度は手付かずで乗ることができました。そうは言っても、この手の車にはやはり気を使います。それもオーナーの楽しみの一つと考え、根気良く付き合っていく努力が必要なのかもしれませんね。

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