Skyline GTR

By , 2011年4月27日 7:04 PM

197511-1 ロータスエランが故障し修理に出さなければいけない状況の時に、知り合いのモータージャーナリストの方が是非譲って欲しいと電話をくれました。どうしようかと逡巡していたのですが、ローダーで引き取りに行くからと連絡があり、結局売却することにしました。

 次はヨーロッパと考えていたのですが、事はそう簡単に運ばず、ホンダS800、コスモスポーツと乗り継ぎ、GTRにたどり着くことになりました。それまでは全て2座スポーツでしたが、GTRは、私が初めて買ったセダンタイプの車です。購入したのが1975年ですから、当然中古車です。しかし購入したGTRは、日産のディーラーに勤めている方がオーナーで、フロントがオーバーフェンダーになっていましたが、それ以外はオリジナルの状態を保ち、きちんと整備されていました。
 
 
197511-2 その頃は製造中止になってから既に数年経っていましたが、GTRについてのいろいろなウワサは枚挙にいとまが無いほどでした。自動車雑誌にもその手の情報が載っていて、いい加減な内容が書かれていて驚いたこともありました。そのようなウワサを余所に、GTRはいつも快調に動いてくれました。超硬派のスポーツセダンが、こんなに扱いやすいとは想像していなかったので、肩透かしを喰ったような感じがしたものです。

 私にとって、この車だったら何の心配も要らないと思える初めての車でした。それがGTRだったと言うのが笑えるところですが、それまで乗っていた車が如何に信頼性が低かったかの証明でもあります。GTRの唯一の故障は、ヒュージブルリンクが壊れて突然止まったことくらいでした。GTRは普通のスカイラインセダンとは明らかに感触が違っていて、特殊で高価で、入念に作り込まれている感じを受けました。
 
197511-3 ここに掲載した写真は、1975年11月に南九州を旅行した時のものです。バックには桜島が写っています。この時の桜島は雨で、数日前に降った火山灰が泥のようになっていて良く滑り、正に薄氷を踏むような思いでした。
 この旅行では、行きは東名・名神・国道2号線、そして部分的に開通していた中国自動車道を走り熊本に入り、帰りは宮崎の日向から川崎行きのフェリー(マリンエキスプレス)を利用しました。2005年6月までは川崎-日向間の直通フェリーが運航されていて、運賃が多少高いことを除けば、良い船旅を満喫できました。
 
197511-4 右の写真も、同じ時のものです。場所は都井岬で、都井岬観光ホテル(旧黒潮荘)の駐車場で撮影しました。南九州は、1969年に高校の修学旅行で訪れた地で、非常に思い出深いところです。その後1993年にも車で訪れましたが、状況が許せば、近い内にまた行ってみたいと思います。GTRでは、その後もあちこち走り回り、整備もぬかりなく行いました。町の修理屋さんでは、タペット調整のためのシムがなかなか手に入らないなどと言うこともありましたが、当時品川にあった日産スポーツコーナーに持ち込めば、大抵のリクエストには答えてもらえました。

 今振り返ってみると、GTRは日産が魂を込めて作った車だったのだと思えます。普通のスカイラインと同じ形をしているので分かり難いのですが、全く別の種類の車、と言った方がよいのではないかと思います。しかし、ストックのままでの性能は大したことはなく、加速性能も高速性能もスペックから予想できるほどのものではありませんでした。あくまでレーシングカーのペース車両に過ぎないと、日産は本気で考えていたのでしょう。

三度目のQRV

By , 2011年4月12日 4:21 PM

1978_l 1977年の暮れに、家の事情で生まれ育った磯子区根岸から、戸塚区上郷(現在は栄区)に引っ越しました。アマチュア無線のアンテナタワーが建ってから、僅か1年数ヶ月後のことでした。
タワーの基礎部分はコンクリートで埋めてありますので引き抜くわけにも行かず、地表に出ている部分を切断することにしました。引っ越し先でもこのタワーをそのまま使用するつもりでしたので、その高さは基礎部分の1段(約2メートル程度)分低くなることになってしまいました。また、引っ越しを機に局免許の申請をし直し、出力電力のアップも図りました。

1980_l 1980年頃になると、それまでマイコンと呼ばれていたボード型式のコンピューターが、ディスプレイ・キーボード・ケースを備え、現在のパソコンの形に近くなって来ました。写真のMZ-80K2や、Tandy TRS80、Amiga、AppleIIなど続々とコンピュータが発表され、身の回りでも一気にディジタル化が進むことになりました。

私も遅ればせながらMZ-80K2を購入し、コンピュータへの知識を蓄えることにしました。その後、APPLEII、PC8801などに買い替え、モールス信号をアルファベット表示させるインタフェースを作成したりして、アマチュア無線との組み合わせを楽しみました。

1981_2_l ディジタル化の波はアマチュア無線の通信機にも波及し、アナログ表示のダイアルは蛍光管若しくはLEDによるディジタル表示に変わり、VFOもコイル・チョーク・バリコンなどからPLLを利用した高精度のものへと変化して行きました。

この頃になると、通信機の主力は送受信機の組み合わせからトランシーバーへとシフトして行き、送信部の出力段を除いて殆どの部分がソリッドステート化されました。ものによっては送信部もパワートランジスタによりソリッドステート化されていました。これはプロ用の通信機においても同じで、特殊用途を除き、通信機分野から真空管の需要は急速に失われて行ったのです。

通信機はトランシーバー形式が主流となりソリッドステート化され、どんどん小型・高機能になって行くのですが、アンテナばかりはどうにもなりません。周波数によってアンテナの大きさは決まってしまい、それを1/10の大きさにすることは不可能です(これからの未来に於いては可能かもしれませんが)。

ですから多数の周波数にon air したいと考えると、写真のような有り様になってしまいます。いつ、どこに居ようと、アマチュア無線を運用する上で一番の問題はアンテナです。高い周波数で運用する場合は、テレビのUHFアンテナ程度の大きさで充分な場合もありますが、短波帯などの比較的低い周波数で運用しようとすると、どうしてもアンテナが大型化してしまいます。

その後、25年ほどして再び近くに引っ越すことになったのですが、正にこのアンテナの問題でアマチュア無線は運用していません。最初の引っ越しの時、自宅の周りは空き地だらけで誰に断ること無くタワーを建てられたのですが、2回目の引っ越し先ではそうもいきませんでしたので、面倒くささが先に立ち手付かずになっています。
今は、2回目の引っ越しから既に8年の歳月が流れていますが、誰に気兼ね無く大きなアンテナを上げるには、もっと広い土地に引っ越す必要がありそうです。4度目のQRVが可能になる時、果たして自分は何歳になっているか、そして旧知の方達とお話することができるか、それはこれから将来に掛けての密かな楽しみになっています。

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