Category: Lotus Elan・Europa

Lotus EUROPA-1974年夏の旅行

By , 2011年5月26日 10:37 PM

197408_1 1974年8月4日、前年に続きロータスでまたまた無謀な旅行に出掛けました。今回の旅行は、倉敷の友人を訪ねることが目的でしたが、どうせ行くならと貧乏根性を出した結果、横浜-新潟-金沢-福井-倉敷-京都-横浜と言う、壮大な旅行になってしまいました。前年の夏、エランに乗って行った京都旅行で痛い目に遭っているのに、性懲りも無くまたロータスで出掛けようとするのですから、我ながら良い根性をしていると思ったものでした。

 但し今回は、知人の厚意でヨーロッパを借りて出掛けることにしましたので、これが無謀な行動に走った、最大の理由かも知れません。1日目は、横浜から東京を抜け高崎方面に出て、新潟を目指して行けるところまで行く!という予定でした。現在のように、横浜-新潟間が全て高速で接続されているのならばともかく、元々無謀な予定であることは間違いなく、高崎を過ぎる頃には夕方になり(上の写真)、何とか長岡にたどり着いた時は夜中と言ってよい時間になっていました。
 
197408_2 2日目は長岡から国道8号線に出て、海岸線の景色を楽しみながら走り続けました。道路は比較的空いていて、適度に曲がりくねった所もあり、夏の暑さの中でしたが気分良くドライブすることができました。日本海は、神奈川から静岡辺りにかけた太平洋側の海とは雰囲気が違い、男性的で荒々しい感じを受けました。

 途中途中で写真を撮りながらのんびり走っていたせいか、金沢に着く頃は夕方になってしまい、とあるレストランで夕食を摂ろうとしたした時、運転席側のウィンドウが上がらず往生しました。こんな時、パワーウィンドウは善し悪しです。暫く放っておいたら自然治癒??したので、食事をしてから宿泊するホテルを探すことにしました。
 
197408_3 3日目は、金沢から倉敷を目指しました。かなりの長丁場ですから、途中、東尋坊で休憩しただけで、ひたすら倉敷を目指して走りました。右上の写真は、東尋坊でしばし休憩した時に撮ったものです。左の写真は、福井から京都方面へ向かう途中に撮影したものです。この時、たまたま坂の頂上付近で停ったのですが、通り掛かりの白バイ氏に「頂上付近の駐停車は禁止」と説教されました。この暑い中ご苦労な事です、などと毒づきながらヨーロッパに乗りこみ、倉敷を目指しました。

 倉敷に着いた時は、案の定、夜近くになっていて、カーナビも携帯電話も無い時代ですから、散々道に迷いながら、やっと知人の家に辿り着く事ができました。暗くなり始めた中、右も左も分からない土地で目的の場所を探すのは、何とも神経が疲れるものです。まして視界が余り良くない、ペッタンコの車の中から外を見てここは何処だ?とかやっているわけですから、簡単に探し出せるわけがありません。倉敷の駅や商店街の周辺はごちゃごちゃしていて車の中からの視界が効かず、どうしたらこの混雑から抜け出せるのか真剣に悩んだくらいです。
 
197408_4 前日着いたのが夜だったため、知人宅の周りの様子は良く分かりませんでしたが、一夜明けた4日目は、気持ちの良い朝を迎えることができました。住宅街は適度な余裕があり、また、ところどころ田畑が残っていて、落ち着いた時の流れを感じることができました。昨日の喧騒が全く嘘のようで、こんな環境に住んでいる知人を羨ましく感じたものです。

 早速、あちらこちらと写真を撮ったのですが、ヨーロッパは周りの風景に全くマッチしていないことに気付きました。コマーシャルフォトで見掛けるように、これがイギリスの田舎町あたりだと見事に調和するのですが、この後訪れた京都の社寺でも、やはり何となくしっくり来ませんでした。自動車にも、それぞれの生産国の伝統や気風が息づいているのだなと感じた次第です。
 

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 上の2枚の写真は、倉敷川とアイビースクエアです。知人宅はこの直ぐ近くだったため、美観地区をゆっくりと観光することができました。この頃はまだ、整備途中の建物などがあったため雑然とした場所もありましたが、総じて落ち着いた佇いを味わうことができました。この日は京都まで行く予定でしたので、昼食を済ませ知人に別れを告げ、国道2号線をひた走ることにしました。今でこそ、山陽自動車道、中国自動車道が整備されたお陰で、短時間で移動できるようになりましたが、この頃の主要道路は2号線しかありませんでした。

 2号線が混雑すると、脇道など知らない「おのぼりさん」にはどうすることもできず、じっと空くのを待つしかありません。翌年、GTRで九州を目指した時は渋滞に遭い、延々と無駄な時間を浪費したのですが、この時は幸いなことに渋滞と言うほどの混雑は無く、比較的スムースに名神高速に乗れたため、明るい内に京都に着くことができました。
 
197408_7 左の写真は、ヨーロッパのダッシュボード周りです。名神高速を走行中に撮ったものです。ウッドパネルが使われていたりするため、一見高級な感じに見えますが、良く良く見るとチャチな作りが分かってしまいます。とは言え、ロータスをジャガーと比較するのは間違いで、走りに徹した成り立ちを考えれば、機能的にも情緒的にも理に適っているのではないかと思います。

 シートに座ってしまえば、ほとんど身動きすることはできませんし、前かがみになるとフロントガラスに頭をぶつけてしまうほど、余分な室内空間は残されていません。そんな、運転するためだけに生まれて来たような車ですから、華美な装飾は不要です。エランもそうでしたが、ヨーロッパも、手を延ばせば、あるべきところにスイッチやレバーがある、と言う感覚が大切にされているように思います。ただ、機能的と言っても、ドイツ車のように素っ気ないわけではないところが、やはりイギリスの車だなと感じます。
 
197408_8 5日目は、京都観光をしてから横浜まで帰ることにして、前の年にも訪れた宇治の平等院に寄ってみることにしました。写真は、平等院の駐車場で撮ったものです。この年以降、何回か近くまでは行くのですが、平等院に寄るチャンスが無く、今では周りの状況も随分変わっているのだろうなと思っています。写真に写っているバンを見ると、確かに40年近く前の写真だと納得できるのですが、ヨーロッパに目を移すと、何か場違いな印象があり、同じ時期に存在した車同士とは、とてものこと思えません。

 近年、路上で時々見掛けるヨーロッパはどれも元気で、綺麗な状態に保たれています。オーナーの方達が、余程大事にされているのでしょう。新車で販売されていた時から既に40年の歳月が流れていますので、ヨーロッパを維持するためにはそれなりの労力が必要と思われますが、1台でも多く生きながらえて欲しいものです。絶対的な個体数が少なくなっていますので、私の「次はヨーロッパ」と言う願いは、いつになったら実現できることやら分かりません。今となっては、もう無理かもしれませんね。

Lotus EUROPA

By , 2011年2月27日 3:31 PM

europa_1 1974年5月の連休に、横浜・東京・千葉・埼玉・栃木・茨城のロータスヨーロッパオーナーが東名高速の海老名インターに集合し、親睦を深めました。写真の場所は夫々東名足柄、海老名の各サービスエリアだったと思います。この日は5月とは言え夏を思わせるような陽気で、大変暑かったと記憶しています。この時に集まったメンバーは、ELANの記事に記したように、私の人生に指針を与えてくれた恩人の方々や、後の自動車業界に大きな足跡を残す方も居られ、40年近く経った今振り返ってみても感慨深いものがあります。
 
 
europa_2 この頃、ロータスの輸入代理店はアトランティック商事になっていて、販売活動が積極的に行われていました。それまでは、ほとんど見掛けることのなかったロータス車が、時々街中で見られるようになっていました。これは、ヨーロッパの販売が好調であったことが、大きな要因になっていたのではないかと思われます。とは言え、まだまだロータスはマイナーな存在で知名度は低く、ヨーロッパは500~600万円もする超高級スポーツカーと思われることが多かったようです。

 そのような時期に例え十数台とは言え、色とりどりのヨーロッパが集合したのですから、かなりの注目を集めたように思います。私は、ヨーロッパの助手席で参加させてもらいました。所々で運転を代ったりして、一般道、高速道路などでヨーロッパの素晴らしさを再認識しました。

 この時に参加したヨーロッパの中に、珍しい車が1台ありました。それは対米輸出用のS2だったのですが、ルノー1600ccOHVクロスフローエンジンを搭載していました。通常S2は、対米輸出用でもルノー1500ccOHVのカウンターフローエンジンを搭載していますので、1600ccOHVクロスフローエンジンを積んだS2を、この時初めて見ました。SPに比べて車重が軽いせいか、この1600ccエンジン搭載車はツインカムエンジン搭載車と遜色のない走りをしていました。
 
europa_3 ヨーロッパの運転感覚は、普通の自動車には例えようが無く、どちらかと言えばカートに極く近い感じがします。ドライバーが車の中心付近に座るせいか乗り心地は素晴らしく良く、下手なスポーツセダンよりも良いくらいです。サスペンションは硬いにも関わらず、路面からの直接的なショックは一切感じることがありませんでした。しかし、運転した感じはカートそのものと言っても良いかもしれません。

 走行中にハンドルを切った時の感覚は、ロールを一切感じずに、サスペンションの存在さえ無いように、スパッと瞬間的に移動する感じがします。1枚の板切れの上に乗っているような、そんな感じです。ハンドルはどのような状況でも常に軽く、極端な表現をすれば指1本で回せるほどでした。その代りキャスターアクションは弱く、ハンドルを切ったら自分で戻してやる必要があります。その代償のようなものですが、高速では慣れていないとその軽さが仇となり、真直ぐに走るのが難しい状況に陥ります。
 
europa_6 このように素晴らしい操縦性を持つヨーロッパですが、この性能を充分に発揮させるためには、色々と苦労も多かったようです。その最たるものはタイヤでした。当時、ヨーロッパの純正タイヤとしてはファイアストーンキャバリーノと言う銘柄が指定されていたと記憶しています。しかし、このタイヤが実は入手難で、他のタイヤではなかなか思うような感触が得られなかったようです。ハンドルを切った時に一瞬腰砕けのような感触が残り、それが我慢できないとオーナーの方々が口にされていました。これは、タイヤのショルダー部分の構造や硬さが影響していたのだろうと思います。

 いろいろと試した結果、純正タイヤに近い感触が得られたのはミシュランXWXだけだったとお聞きしました。しかしXWXは重量が重いため車のバランスが崩れるようで、最終的にはダンロップG5を選択されていたようです。当時は、今のように様々なパーツを選択できるような状況ではありませんでしたから、タイヤひとつ選ぶのも大変な労力と費用を必要としたようです。
 
europa_4 写真の白いヨーロッパTCは、エランの記事中に記した、鎌倉にあるお寺のご子息の車です。私が初めてヨーロッパを運転したのは、正にこの車でした。その時のショックは相当なもので、それまで自分なりに持っていたスポーツカーの理想像が一瞬にして崩れ去りました。私がヨーロッパの信奉者になったのは、言うまでもありません。

 ヨーロッパと言う車をじっくり見ると、ミッドシップスポーツの理想像を見ることができます。車の全長に対して前後のオーバーハングが短く、ホイールベースはそこそこ長く、全高は低く、トレッドは広く、車重は軽く、そしてエンジン-ミッションが縦一列に並び重量物の高さが低く抑えられているなど、レーシングカーを元にロードカーを作ったと言っても良いくらいスポーツカーとしては理想的な車なのです。
 
europa_5 今となっては、ヨーロッパは速い遅いを論じる車ではありません。例え山道でも、ヨーロッパより速い車は幾らでもあるでしょう。しかし、それらの車の内、運転していて楽しいと思える車がどれほどあるでしょうか。ヨーロッパは運転の難しい車ではありません。しかし、誰でも気軽に乗れるような種類の車ではありません。足代りにできる車でもありませんし、天気が悪かったり、気候の適さない季節(夏です)には、最も乗りたくない車です。

 でも、いつどのような状況の時に乗ったとしても、常に新鮮な感動を与えてくれる車です。ポルシェボクスターのような快適性や利便性は備えていませんが、運転していて楽しいと感じる割合は、それよりもはるかに上のように思います。趣味の車として持つのならば、ロータスヨーロッパはお勧めの車です。

続Lotus ELAN

By , 2011年2月19日 1:09 AM

elan_5 前の記事では、エランそのものについて書けなかったので、続きを書きたいと思います。左の写真は、箱根に出掛けたときに、マフラーが落ちて応急修理しているところです。エラン購入後、1年近く経過した時の写真ですが、この頃は、もう何が起きても慌てない心構えができていました。

 動いてくれさえすれば、どうにでもなると考えられるようになったのですが、このような心境になるまではかなりの時間が必要でした。私が経験したエランの比較的大きな故障を列記してみます。
ラバードーナッツの破損、クラッチプレートの破損、ウォータージャケットからの水漏れ、ラジエターからの水漏れ、ライトハウジングの破損、DC発電機の破損、ステアリングラックの破損・・・etc

 細かい修理個所は、憶えているだけでも、書ききれません。私自身は、電気周りに関しては何とかできる知識がありましたので、お蔭で随分助かりました。電気系統の故障でいちいち修理に出していたら、乗る暇が無いくらいでした。上に挙げた故障個所は、軽量化のためか、コスト低減のためか定かではありませんが、絶対的な強度不足が原因だと思います。私の車は1969年の製造でしたから、この時点では製造後4年しか経っていませんでした。

 購入した当初、ドライブシャフトが大人の親指程度の太さなのを知った時は、何故ラバードーナッツが必要なのか、何故軽いのか、理解できたように思いました。これがエランなんだと思うと、より一層愛着が湧いたものです。このような思いがあったから、故障続きであっても、手放す気になれなかったのだと思います。加速性能は、当時国産No.1だったサバンナRX-3よりも速く、高速道路以外であれば大抵の車には負けませんでした。

 箱根あたりでは、軽快なコーナリング性能と共に、小さな車体が大きな武器になっていたように思います。少なくとも、ロータスヨーロッパに乗るまでは、最高のコーナリングマシンと思っていました。ヨーロッパは、どの車と比較しても次元が違う感じがします。今まで、かなりの台数のスポーツカーに乗って来ましたが、本当のミッドシップスポーツが欲しければ、ロータスヨーロッパに乗るのが一番良いと思います。その思いは、40年近く経った今も変わっていません。
 
elan1974 右の写真は、前回の記事に書いたヨーロッパに乗っている方達と、忍野八海までドライブした時のものです。どこをどう見ても、ヨーロッパの方が地上高が低そうなのですが、ヨーロッパが平気で通れる個所も、エランはエキゾーストパイプを擦ってしまい、ヨタヨタと迂回する必要がありました。ヨーロッパと並べてみると、やはりその古さは否めない感じがします。修理工場で、エランスプリントも何回か見掛けましたが、やはりクラシカルな感じがしました。

 エランの操縦に関して大きな問題はありませんでしたが、クラッチは半クラッチ可能な部分が少なく、スパッと繋がるタイプでした。ハンドブレーキはステッキ型ですが、ボタンを押してリリースするタイプで、ブレーキが効いている範囲が非常に狭いため、坂道発進は充分な慣れを必要としました。

 クラッチは強力で、上手く繋げばとても素早いダッシュが可能でしたが、ドライブシャフトの途中にラバーカップリングが存在していますので、このような運転を繰り返すと、それを早く痛める原因になります。電気系統は、発電にDCダイナモが使われていましたので発電量が少なく、余程注意していないとバッテリー上がりを起こし易い状態でした。バッテリーは、トランクルームの奥まった位置に設置されていますのでメンテナンスは結構面倒でした。

 記事の冒頭でよく壊れたことを書きましたが、聞くところによれば、全体的にきちんと整備してあげればそうそう壊れる車ではないようです。もともと車重は軽いので、無茶な運転をしなければ、掛かるストレスも小さいはずです。そう考えると、華奢な作りは、そのように意図して作ったのだろうと思えます。

Lotus ELAN

By , 2011年2月17日 2:24 AM

elan_1 私は19歳の年に、普通自動車運転免許を取得しました。私の誕生日は12月ですが、もっと早い誕生日の友人は、高校に在学中から自動車学校に通い、免許を取得していました。私の場合、18歳になったと思ったら直ぐ年が明け、高校の卒業も間近に迫っていましたから、自動車の運転免許を取りに行く暇がありませんでした。勿論、大学受験の準備などもありましたので、それどころではなかったのです。

 大学の入試も終り、高校も卒業して、やっと自動車の運転免許を取りに行く気になりました。それまではオートバイに乗っていましたし、特別自動車に乗りたいと思っていたわけではありませんでしたので、そのうちに取れれば良い程度に考えていました。そんな具合でしたので自動車学校には行かず、直接、運転免許試験場に行き試験を受けました。当時は、路上試験など無い時代でしたから、直接試験を受けに行っても、それほどの困難はありませんでした。幸いなことに、2回目の試験で合格し、交通費その他全て含めて、12,000円程度で免許を取得できました。
 
elan_2 免許が手に入ると、例によって自動車が欲しくなりました。それまでオートバイに乗っていたので、極く普通の乗用車にはとても乗る気がしませんでした。とは言っても、アルバイト程度しかできない身の上ですから、お金はあまりありません。いろいろと中古車を探している時に目に止まったのが、フェアレディ1600(SP311)でした。オープン2シーターと言う姿、形が気に入って手に入れたのですが、大いに楽しむことができました。

 勿論、それまで乗っていたオートバイの気違いじみた性能とは比べるべくもありませんでしたが、天気を気にする必要が無いこと、楽ちんであることなど、遅くても構わないと思える要素は沢山ありました。半年後にフェアレディ2000(SR311)に乗り換え、当時絶大な人気を誇ったフェアレディZとよく競争したものです。

 そうこうして免許を取得してから1年が過ぎようとしていた頃、東名横浜インター近くの中古車屋さんに、ロータスエランが展示されていることに気がつきました。当時、ロータスの車はほとんど見掛けなかったのですが、エランの実物を目の当りにして一目で気に入ってしまいました。私にとっては正に衝撃的な車だったのです。価格はフェアレディZの新車を買ってもお釣りが来る金額でしたが、人と同じものは嫌だと言う天邪鬼的性格が災いして、結局買うことに決めました。オートバイでも自動車でも、中古車の経験は結構ありましたので、どうにかなるだろうと考えていました。
 
elan_3 金策に苦労し、やっとのことでエランが納車されました。私の購入したエランはS4のFHCでした。その小さなこと、そして低いこと、独特な美しい姿など、もうこれ以上の車は無いだろうと思えるほどでした。しかし、良くも悪くもエランの本質を理解しないまま乗っていましたので、結構無謀なこともしました。その最たるものが真夏の京都旅行でした。

 1973年8月に、京都、奈良へのドライブを敢行したのですが、幸いなことに、人間が暑さで参ったもののエランは終始無事に動いてくれました。しかしこの直後から、いろいろと故障が出始めます。故障個所のリストを作ったら、A4用紙の1ページがまるまる埋まるほどの数になると思います。エランとはどのような車なのか、それを理解していたら、多分、真夏の京都旅行などには出掛けなかったと思います。

 今と違って、その頃はロータス車を扱うお店はほとんど無く、修理と言えば、それまでの輸入代理店であった東急商事のサービス部門に頼るしかありませんでした。このサービス部門は横浜に近い場所にありましたので、修理と言うと、小型のローダーで引き取りに来てもらいました。パーツの入荷が遅いこともあり、修理に出すと1ヶ月くらい戻って来ませんでした。結局、元気に走っている時間よりも、修理工場に鎮座している時間の方が長かったのではないかと思います。
 
elan_4 それでも、エランを他の車に替える気など毛頭無く、修理から戻って来た日から、次に修理に出す日までの短い?時間を大いに楽しみました。そんなある時、箱根からの帰りに湘南海岸沿いの道路(R134)を走っていると、七里ガ浜の料金所(当時は料金所があったのです!)を過ぎた辺りで、1台の白いロータスヨーロッパTCとすれ違いました。

 エランが珍しかったのかUターンして追い掛けて来られて、当時から稲村ケ崎にあったレストラン「メイン」でいろいろとお話をしました。この方は鎌倉腰越にあるお寺のご子息で、当時は電機メーカーに勤めておられました。お話を聞くと、ヨーロッパに乗っている仲間が何人かいらっしゃるとの由でしたので、近いうちに会わせていただくことにしました。これが、それからの私の人生を方向付ける方達との出会いの始まりでした。

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