Category: アマチュア無線

Eimac 4X150G

By , 2011年9月18日 10:18 AM

 古い写真を整理しようと思って幾つかの整理箱をひっくり返していると、アマチュア無線関係の資料が出て来ました。保管箱に入れたMT管や3-500Z等の送信管、コイルやバリコン、パリLなども出て来て、暫くの間、見入ってしまいました。

 そんな中で、1つだけ小さな箱があったので開けてみると、クッション材に包まれた送信管でした。4X150Gと言う名称の送信管で、特殊な専用ソケットが必要だったことから一般的にはあまり利用されていなかったと思いますが、かなり以前から所有していたものです。

 自分で買ったのか、誰かに貰ったのか憶えていませんが、私がアマチュア無線を始めて幾らも経たない頃から持っていたように思います。この送信管を使って高い周波数帯の送信機を作成しようとしていたのだと思いますが、何をどうしようとしていたのかは憶えていません。

 ただ、この送信管については、1つだけハッキリと記憶していることがあります。他のEIMAC送信管は4CX250などのように4CXと言う名称なのですが、150シリーズは4X150となっています。それは、他の送信管がセラミック封入なのに150シリーズだけはガラス封入だったからなのですが、私の中ではずっと疑問でした。当時は、そのような単純な情報さえも入手することがなかなか困難だったのです。知り合いのOMさんに教えていただき、その疑問が解けた時は「なぁ-んだ!」と言った感じだったのですが、このようなあまり重要ではないことは憶えているくせに、肝心なことは忘れていて、最近は随分と歯痒い思いをすることが多くなっています。

 そんなことをぼーっと考えていると、昔の資料を見たくなり、きちんと梱包してあった本を取り出し時の経つのを忘れて読みふけってしまいました。1冊の本を見ると思い出すこともあり、次から次へと・・・。お陰で、狭い部屋が本で溢れかえり、年末のような大掃除をする羽目になりました。久し振りに資料や本の整理ができましたが、次の日、腰が痛いのには参りました。日ごろの運動不足が影響しているのでしょうが、暫くは治りそうにありません。

三度目のQRV

By , 2011年4月12日 4:21 PM

1978_l 1977年の暮れに、家の事情で生まれ育った磯子区根岸から、戸塚区上郷(現在は栄区)に引っ越しました。アマチュア無線のアンテナタワーが建ってから、僅か1年数ヶ月後のことでした。
タワーの基礎部分はコンクリートで埋めてありますので引き抜くわけにも行かず、地表に出ている部分を切断することにしました。引っ越し先でもこのタワーをそのまま使用するつもりでしたので、その高さは基礎部分の1段(約2メートル程度)分低くなることになってしまいました。また、引っ越しを機に局免許の申請をし直し、出力電力のアップも図りました。

1980_l 1980年頃になると、それまでマイコンと呼ばれていたボード型式のコンピューターが、ディスプレイ・キーボード・ケースを備え、現在のパソコンの形に近くなって来ました。写真のMZ-80K2や、Tandy TRS80、Amiga、AppleIIなど続々とコンピュータが発表され、身の回りでも一気にディジタル化が進むことになりました。

私も遅ればせながらMZ-80K2を購入し、コンピュータへの知識を蓄えることにしました。その後、APPLEII、PC8801などに買い替え、モールス信号をアルファベット表示させるインタフェースを作成したりして、アマチュア無線との組み合わせを楽しみました。

1981_2_l ディジタル化の波はアマチュア無線の通信機にも波及し、アナログ表示のダイアルは蛍光管若しくはLEDによるディジタル表示に変わり、VFOもコイル・チョーク・バリコンなどからPLLを利用した高精度のものへと変化して行きました。

この頃になると、通信機の主力は送受信機の組み合わせからトランシーバーへとシフトして行き、送信部の出力段を除いて殆どの部分がソリッドステート化されました。ものによっては送信部もパワートランジスタによりソリッドステート化されていました。これはプロ用の通信機においても同じで、特殊用途を除き、通信機分野から真空管の需要は急速に失われて行ったのです。

通信機はトランシーバー形式が主流となりソリッドステート化され、どんどん小型・高機能になって行くのですが、アンテナばかりはどうにもなりません。周波数によってアンテナの大きさは決まってしまい、それを1/10の大きさにすることは不可能です(これからの未来に於いては可能かもしれませんが)。

ですから多数の周波数にon air したいと考えると、写真のような有り様になってしまいます。いつ、どこに居ようと、アマチュア無線を運用する上で一番の問題はアンテナです。高い周波数で運用する場合は、テレビのUHFアンテナ程度の大きさで充分な場合もありますが、短波帯などの比較的低い周波数で運用しようとすると、どうしてもアンテナが大型化してしまいます。

その後、25年ほどして再び近くに引っ越すことになったのですが、正にこのアンテナの問題でアマチュア無線は運用していません。最初の引っ越しの時、自宅の周りは空き地だらけで誰に断ること無くタワーを建てられたのですが、2回目の引っ越し先ではそうもいきませんでしたので、面倒くささが先に立ち手付かずになっています。
今は、2回目の引っ越しから既に8年の歳月が流れていますが、誰に気兼ね無く大きなアンテナを上げるには、もっと広い土地に引っ越す必要がありそうです。4度目のQRVが可能になる時、果たして自分は何歳になっているか、そして旧知の方達とお話することができるか、それはこれから将来に掛けての密かな楽しみになっています。

再びQRV

By , 2011年2月23日 4:59 PM

HAM1976_1 オートバイ、自動車にうつつを抜かしている間、主として経済的理由により、暫くアマチュア無線の活動を停止していました。その間に周りの状況はかなり変化していて、中学時代からの仲間はアマチュア無線を止めてしまい、近所のOMさん達(ベテランの方達)の声も聞こえなくなっていました。OMさん達は、以前と違う周波数帯に移られた方も多かったようですが、仕事が忙しくなり、昔のようにon airされる時間が少なくなってしまったようです。

 この頃は既に、無線機を作るなどと言う時代ではなく、自分自身も昔と違い収入があったため、憧れであった無線機を自由に購入できるようになっていました。ソリッドステートの時代になり国産通信機の実力も上がり、海外では日本製の通信機が広がり始めていました。とは言え、アメリカ製の通信機は依然として高嶺の花であり、コリンズなどは手が出せる価格ではありませんでした。

 そこで、以前より情報を収集していたドレーク社の通信機を購入することにしました。この通信機は真空管+ソリッドステートのハイブリッド式ですが、写真のような小型の筺体に、ぎっしりといろいろな機能が詰め込まれていました。見た目もスマートで、アマチュア無線用通信機の傑作と言っても良いのではないかと思います。
 
HAM1976_2 アマチュア無線で一番の問題は、アンテナをどうするかです。高い周波数にon airする場合は、TVのアンテナ程度の大きさで済むことがありますし、低い周波数帯でもバーチカルアンテナで運用することが充分可能です。しかし、やはり短波帯にon airするのであれば、海外との通信も目的の1つになりますので、できるだけ大きなアンテナを建てようと考えるものです。当時の自宅の庭は特別広いわけではありませんでしたので、隣近所に配慮すると、そこそこの大きさにせざるおえません。

 そこで建てたのが写真のタワーとアンテナです。当初、自分たち数人で建てられるのではないかと考えていましたが、いざタワーが届いてみると、その大きさと重さで、専用の道具も無く経験も無い自分達にどうこうできる問題ではないことが分かりました。基礎部分のタワーを土中に埋め、水平を出してコンクリートで埋めるところまでやり、後は近所の鳶の方達にお任せすることにしました。

 タワーも建ちアンテナの設置も終り、本当に久しぶりにon airしてみました。うーむ、知っている方が誰も居ない・・・と言う状況で、冒頭の書き出しとなるわけです。その代り、自分よりも若い世代のご近所の人たちが、元気にon airされていました。正に、時代はめぐると言った感じがしたものです。

QRV

By , 2011年2月12日 8:44 PM

HAM1967-1 QRVとは、アマチュア無線用語で「on airする」と言う意味です。小学校6年生の時に、ラジオ作りに夢中になっている友達に誘われて、アマチュア無線にのめり込むようになりました。当時、ダイオード、トランジスタなどは普及しておらず、ラジオ・テレビと言えば真空管式が当たり前でした。今のように、あらゆる種類の電化製品があるわけではなく、自分でラジオを作ることを趣味にできた時代です。

 中学生になり、アマチュア無線の免許を取るために勉強を始めました。学校の勉強はそっちのけでしたから、通信簿に「HAMと同じくらい勉強に励め」と書かれたこともありました。自分で通信機を作りたいと言う願望があったため、お小遣いを貯めては、真空管、トランス、コア類を秋葉原まで買いに出掛けたものです。しかしいざ免許が取得できると、早くon airしたくて、当時のスタンダード製品であったTRIOの9R59 + TX88D(なぜかDです)を買ってもらい、自分で組み立てました。

太陽無線NT110Aの情報

 
HAM1967-2 その頃、私の家の近所には、アマチュア無線をしている方が沢山いて、その殆どの方が年上の学生か社会人でしたので、いろいろと教えていただきました。社会の右も左もわからない中学生を一人前の人間として見ていただき、大変勉強させてもらいました。アマチュア無線はその頃、趣味の王様と呼ばれていましたが、年齢に関係無くこのような付き合いができることが、その本質だったように思います。

 しかし、これはアマチュア無線の世界だから実現されたことではなく、それを趣味としている大人たちが寛大な心を持ち、年下の人間を指導しようと努力していたからだと思います。あの頃の大人は偉かった、と私は今でも思っています。偉ぶることなく奢るわけでもなく、気持ちが熱くなるような話を沢山聞くことができました。そのような意味で今までの自分を省みると、忸怩たる思いがあります。残りの人生をどのように生きるか、もう一度考えてみようと思います。まだ時間は残されていますから。

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