Category: 日記・雑感

激走!5000キロ

By , 2014年3月15日 6:23 PM

 激走!5000キロ(THE GUMBALL RALLY)は、ニューヨークからカリフォルニアを目指して、アメリカ大陸を横断するキャノンボール・レースを描いた映画です。
この映画が制作されたのは1976年ですが、1970年代はカーチェイス映画が多数制作されました。私は車が好きだと言うこともあり、この手の映画をよく見ましたが、記憶に残っている映画はそれほど多くありません。

 
 初代ミニミニ大作戦、新おしゃれ泥棒、バニシングIN60、そしてこの激走!5000キロが、数あるカーチェイス映画の中で記憶に残っている映画です。これらの中で、私が唯一映像メディアを持っていない映画が、激走!5000キロでした。

 一時期、全てのレンタルビデオ屋さんやオンラインビデオサイトなどを探しまくりましたが、探し方が悪かったのか、どうしても見つけることができませんでした。
ところが先日、TSUTAYA DISCAS で検索したところ、簡単に見つけることができました。早速レンタルの予約をしたのは言うまでもありません。

 予約した DVD が届き封を開けてみると、何と驚いたことに全く新品のような DVD が入っていました。わざわざ新しい DVD を作ったんですね。それ程に、需要が多かったと言うことなのでしょう。
この映画をフルに観るのは、何十年振りのことなのかと思うと、ちょっぴり感慨に浸ることになりました。

 
 それで、観た感想はどうだったかと言うと、「まぁこんな感じだったかな」と、余り盛り上がらずに終わりました。最初に観た時の年齢と、今の年齢を考えれば、盛り上がり方に差があるのは当たり前のことかも知れません。
 ただ、この映画が非常に丁寧に作られていることを、改めて感じました。早朝の街角を疾走する車の姿、そして排気音、実際のスピードなど、ひとつひとつの要素に拘り、美しく仕上げるための労力は並大抵ではなかったと思います。正に、カーチェイス映画の金字塔!と言える映画だと思います。

中判カメラ-2

By , 2013年10月23日 11:32 PM

2台目の中判カメラがやって来ました。
今度のは、6×9サイズのカメラで、一般的に入手できる中判カメラでは、最大サイズのものです。
前回ここに書いた中判カメラは、6×7サイズのカメラでした。
今回のカメラの名前はGW690、前回のはRB67、フィルムのフォーマットサイズがそのままカメラの名称になっています。
この他には、645、680などがあります。

今回のカメラはレンジファインダー方式のカメラで、前回の一眼レフ方式のカメラよりは、全体的に小型になっています。と言っても、上の写真のとおりの大きさで、そのデカさに思わず吹き出しそうになります。ちなみに、中判カメラに使用するフイルムは120フィルムと220フィルムと呼ばれるもので、別名ブローニー版とも呼ばれています。

120と220の違いは、フィルムの長さにあり、220は120の倍の長さになります。
当然のことですが、カメラのフォーマットサイズにより、撮影できる枚数が異なります。
一般的な35mmフィルムカメラは、フォーマットサイズが同じですから、フィルムの長さにより24枚撮り、36枚撮りなどと区別することができました。

35mmフィルムは24mm×36mm(縦×横)の大きさの部分がフィルム1コマ分に当りますが、6×9フォーマットの中判カメラでは、その大きさは60mm×90mmになります。
35mmフィルムで集合写真を撮るのと、中判カメラで同じ集合写真を撮るのとでは、写せる情報量に格段の違いがあることが分かります。これこそが、中判カメラが必要とされる理由です。

フルサイズディジタルカメラの受光素子サイズは、35mmフィルムと同じ24mm×36mmです。普及型ディジタルカメラの受光素子サイズは、17mm×23mm程度しかありません。
ディジタルカメラの情報量と、フィルムカメラの情報量を比較することはできませんが、フィルムカメラもなかなかのものであることが分かります。

がんばれ!フィルムカメラ

中判カメラ

By , 2013年10月12日 6:46 PM

昔、今からもう50年以上前のことですが、その頃、自宅にはいろいろと珍しいものがありました。
おじいさんか、父親が買い集めたものだと思いますが、カメラ、時計、蓄音機、レコード、そして押入れの奥には、日本刀までありました。
当時は、チャンバラ映画(その頃は時代劇なんて言いませんでした)が盛んでしたから、刀を振り回すシーンなど見慣れていましたが、本物の刀を持った時は、その重さにびっくりしました。
いくら大人でも、あの重さのものを簡単に振り回せる筈はないと、子供心に思ったものです。

そんな珍しかったものの中で、私はカメラが一番気に入っていました。
何台かあったカメラのうちで、ひときわ大きく重いものがありましたが、それは多分、左の画像のカメラだったと思います。
藤本写真工業が製造していた、「Semi Prince」と言う名の中判カメラです。
折り畳み式のファインダーを起こして、蛇腹を引き出して、よく写真を撮る真似をして遊んでいました。

父親がこのカメラを使っていたところを見た記憶はありませんが、現在のL版程度の大きさの写真が昔のアルバムに貼られていますので、それらは恐らく、このカメラで撮ったのだろうと思います。
この頃の写真は、何故か皆小さかったので、そうなのではないかなと思っています。

今までは気にもしていなかった中判カメラですが、たまたま現代のもの(と言っても、もう40年近く前のものです)を入手する機会があり、子供の頃のことを思い出しました。

今回入手した中判カメラはこれです。
Mamiya RB67と言うカメラですが、何と重さが2.5kg近くあります。
中判カメラは扱うフィルムが大きいので、一眼レフ構造にしようとすると、どうしても大きなボディになってしまいます。
高性能なデジカメが一般的になった現在でも、撮影した後の処理のことを考え、中判フィルムカメラを愛用している人は多いと聞きます。

デジカメの良いところは、撮影した後で、どのようにでも画像加工ができることです。しかし、ご自分で画像加工をして、自宅のプリンターで印刷したことがあればお分かりになると思いますが、この「画像加工」が大変に難しいのです。
ホームページに載せるような画像であればよいのですが、きちんとプリントしてアルバムに貼りたいと思うと、どうしても色の再現が気になります。

私は最近では、自分で画像加工と印刷することは諦め、デジカメで撮影した画像ファイルをプロの印刷屋さんに送り、プリントしてもらっています。
結局のところ、カメラ屋さんにフィルムの現像、焼き付けをお願いしていた昔と、何も変わらんなぁと一人苦笑しています。

フィルムカメラ増殖中

By , 2013年6月19日 6:38 PM

フィルムカメラ、なぜか増殖中。
掘り出すんじゃなかった・・・。(-“-;)

娘の卒業式

By , 2013年3月13日 12:31 PM

 平成25年3月9日は、一番下の娘の、高校の卒業式でした。
夫婦で卒業式に出席しましたが、素晴らしい天気に、そして素晴らしい卒業式、自分のことのように感動しました。

 式が終りに近づいた頃、在校生による送辞、卒業生により答辞が行われました。
高校生とも思えない素晴らしい内容の答辞でしたが、それを読み上げている女生徒の声が、だんだんと涙声になって行きました。
それに聞き入っていた父兄からは、ズルズル、ゴホゴホと言った声が聞こえだし、次に続く「仰げば尊し・蛍の光・校歌」斉唱の頃には、ハンカチで目頭を押さえている方も多くいました。

 娘のこの数年間の頑張りを思うと、私も感傷的になり、あやうくホロリとなるところでした。
まさかこの歳になって、卒業式の感激を味わえるなんて思ってもいませんでしたから、とてもとても嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
娘に感謝です。

 そして、久し振りに、自分が高校を卒業した頃を思い出しました。
あの頃の気持ちは、高校生活が終ってしまった、もう二度とここには戻って来れないんだと言った、何か大きな忘れ物をしたかのような気持ちでした。

 娘も、それと似たような気持ちになっているかもしれません。
暫くの間は、素晴らしかった高校生活の思い出を、じっくりと噛みしめて欲しいと思います。
そして少し時が過ぎたら、次に始まる新しい学生生活に向かって、準備を始めて欲しいと思います。

 娘の人生の終りまでは付き合えませんが、心から幸せだと思える人生を送って欲しいから、これからも娘を精いっぱい応援して行こうと思います。

フィルムカメラ-2

By , 2013年1月25日 10:47 AM

 先日、久々にフィルムカメラを引っ張り出してみたのですが、眺めて磨いただけで、またお蔵入りさせました。
それは、手元にフィルムが無い、寒いので撮影に出掛ける気がしない、からでした。

 しかし妙なもので、何かに気を向けると、それが現実の生活の中に入り込んで来ます。
入り込むと言う表現は適切ではないかも知れませんが、今まで気に掛けていなかったものが、意識の中にポトンと落とし込まれるのです。

 それが要因かどうか分かりませんが、全く偶然にフィルムを入手しました。
ついでだからと考え、必要も無いのに5本購入しました。
このフィルムの使用期限は2015年6月となっています。
つまり、あと2年半の間に、5本のフィルムを使い切らなければなりません。

 ここでよーく思い出してみたのですが、ハーフサイズカメラ(通常の倍の枚数が撮れる)を使用していた頃、1年近く同じフィルムがカメラの中に入ったままになっていたことがありました。
現在のように、デジカメで何でも気楽に撮れるのとは違って、昔は、フィルムを使い切ってしまうまで現像には出さなかったように思います。

 今もその掟?を守る必要はありませんが、カメラのテストのためにフィルムを買ったわけではありませんから、何とか、ものの役に立てたいと考えています。

昔の写真を見ると分かるのですが、日常の生活風景は、殆どと言って良いほど撮られていません。
ですから、子供の頃はどんな服を着て、どんな物を食べ、家族は皆どのように過ごしていたのかなど、思い出せないことがいっぱいあります。

 フィルムカメラを使うには、肝心な場面を取り損なうかも知れないと言う覚悟?が必要になりますが、それを逆手に取って、フィルムカメラで日常の風景を撮ってみることにしました。

 左の画像のように、2台のコンパクトカメラと、1台の1眼レフカメラのそれぞれにフィルムを入れて、場面と気分に応じて使い分けてみようと思います。

 たまたまフィルムを入手したがために面倒なことをする羽目になりましたが、でも、この面倒な作業こそが、貴重な記憶を残すことに繋がるのだと思います。

 今回のフィルムが、良い機会を作ってくれました。
自分のためだけではなく、自分の子供に、今の様子を写真にして残してあげられれば、これほど幸いなことはないと思います。
 

フィルムカメラ

By , 2013年1月21日 9:53 AM

随分長いことブログを更新していませんでした。

昔の写真や資料を眺めると、あの頃はこうだったなぁと断片的に思い出すことはあるのですが、自分の中でも整理が付けられないまま、新しい年になってしまいました。

 昔の写真を見ていて気付いたのですが、当時はどんなカメラを使っていたのか、全く憶えていないのです。
昔の写真ですから、当然フィルムカメラで、それもマニュアルフォーカス・マニュアル設定で撮っていた筈なのですが、どのようにカメラを操作していたのかさえ、忘れてしまっています。

 さすがにこれはイカンと思い、久し振りにフィルムカメラを引っ張り出してみました。
出て来たのは、昔購入したニコンの一眼レフカメラでした。
その他にもフィルムコンパクトカメラとコンパクトデジカメが数台づつ見つかりました。

思わず現用のコンデジで記念撮影したのが、この画像です。

 飽きっぽい割には物持ちの良い性格のため、既に持っていることさえ忘れてしまっている物が多々あります。
そのような物を発見した時は、昔の知人に会った時のように、当時の思い出が一気に蘇ります。

 私が中学・高校生の頃に使っていたと思われるカメラは父親のカメラでしたので、私の住いで探しても出て来る筈はありません。
そして不幸にも、どのような機種を使っていたのか、依然不明のままです。
父親に聞けば分かるかもしれませんが、憶えているかなぁ。

 私が中学生の当時でも、ニコン、キャノンは別格のカメラでした。
自分が首からぶら下げているカメラを誇りに思ったことはありませんでしたので、多分、右の画像のような、ペトリかヤシカのレンジファインダーカメラだったのではないかと推測しています。
と言っても、その当時の売れ筋ナンバーワンはヤシカでしたし、私が知らなかっただけで、ペトリ・ヤシカは超有名ブランドでした。

 それで、発掘?したフィルムカメラをどうしたかと言うと、綺麗に磨いて、またお蔵入りにしました。
もう少し歳を取ったら(今でも充分年寄りですが)、フィルムカメラを首からぶら下げて、昔の思い出の地を巡ってみたいと考えています。
その時には、フィルムそのものが無くなってしまっているかも知れませんが・・・。

瀬戸内からの贈り物

By , 2012年4月6日 2:00 AM

 前回の記事に、高校時代のことを書きましたが、その高校の同級生から「みかん・はっさく・ネーブル」などを送っていただきました。
この方は女性で、瀬戸内地方の方とご結婚され、今は広島にお住まいです。ご主人の実家が果物栽培をされていて、沢山収穫があった時などに送ってくれます。

 荷を解くと、大小様々な形の柑橘類が詰め込まれていました。嫁さんと二人で、これは何だろうねなどと話しながら、早速、1つ2ついただきました。

 皮を剥くと漂う甘い香りに、何とはなしに懐かしさがこみ上げて来ます。今年の冬は長く、今も肌寒い日が続いていますが、橙色に輝くはっさくやネーブルを見ていると、春の訪れを感じます。
 
 
 
 

入院していました

By , 2011年7月17日 3:04 PM

 2011年6月24日(金)の夜半22:00頃、呼吸困難となり救急車で運ばれ、そのまま入院することになりました。病名は「左緊張性気胸」と言うもので、左側の肺に穴が開く病気です。ここ10年来、気管支に疾患を抱えていたことも影響して、その時は本当に呼吸が苦しく、救急車の隊員の方の質問にも声を出して答えることができませんでした。また、穴が開いているため左肺がしぼんでしまい、その漏れた空気で胸腔がどんどん膨らみ、それにより心臓が圧迫されたために激しい動悸にもみまわれました。私にとっては、救急車に乗ることも入院することも、これが生まれて初めての経験となりました。

 病院に搬送されて人工呼吸器を付けられ、胸腔内の空気を抜き肺を膨らませる機器を繋ぐため、チューブを肺に差し込む手術を受けました。私は麻酔が効いていたため憶えていないのですが、付き添っていた嫁さんが看護婦さんからそう聞いたそうです。麻酔から醒めるまでに数時間掛かったようですが、醒めてから直ぐに「HCU」に移され、絶対安静の措置をされました。そんなこんなでかなりの時間が掛かってしまい、可哀そうに嫁さんは翌日の午前3時頃になってようやく病院を後にすることができたそうです。

 当初、入院予定は10日間ほどだったのですが、歳のせいか治りが遅く、結局7月16日まで3週間入院する羽目になりました。3日目に一般病室に移され、点滴のチューブや酸素濃度測定のための配線が体から取り外されました。これで幾らか身軽にはなったのですが、いかんせん肺にチューブが刺さったままですので、どこに行くにもガラガラと治療機器を載せた点滴ハンガーを引きずらなければなりませんでした。

 突然の入院でしたから、事前に何も用意することができなかったため、病院内ではそれはそれは退屈な日々を過ごすことになりました。ノートPCを所有していれば、仕事とまで言わなくとも、ブログやメールを書いたりはできたと思うのですが、今まで利用する機会が無かったため、持っていませんでした。とは言え静かな病室内では、ノートPCのキーボードであっても打鍵音が結構気になりましたので(検温時に看護師さんがノートPCを使用していましたので)、長時間利用するわけには行かなかったと思います。何れにしても治療のため入院しているのですから、普段の生活を忘れることも必要なのかもしれません。

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 上の写真は、病棟(8F)から外を眺めた画像です。外には、普段の生活や仕事をしている人達が見えるのですが、自分が何処かに閉じ込められているような、そんなやり切れない錯覚に陥ることがありました。入院中は仕事も気になり早く退院したいと思っていましたが、退院して家に帰ってみると、なぜか入院していた事を懐かしく感じたりもしました。

 今回このような状況になったことで、自分にとって何が大切なのか、改めて認識することができました。普段の生活ではなかなか意識できないのですが、何はさておいても家族が大切であることを、言葉ではなく実感としてしっかりと感じることができました。そして、自分のことを気に掛けてくれた友人、仕事仲間の方達のことも、絶対に忘れることはできません。

 誰しも、普段は忙しい毎日に追われていますが、人が人を思いやる気持ちは決して忘れてはならないものです。そのことを肝に命じ、これからの日々を過ごして行きたいと思っています。

 ちなみに、私が入院していた病院は 湘南鎌倉総合病院 です。
先生も看護師さんも大変親切で、いろいろな質問にも細かく答えていただくなど、お世話になりました。大変な仕事であることを分かってはいましたが、改めて、医療関係に従事している人達の苦労と、情熱を感じることができました。

東北地方太平洋沖地震

By , 2011年3月18日 5:02 PM

この度の地震・津波により被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く復旧が進みますことを、お祈り致します。

関東地方では、東京電力による計画停電が始まっています。
義援金への募金と共にこまめな消灯を心がけ、微力ではありますが復旧に協力して行きたいと思います。

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