Category: 南九州

南九州の旅-1993年

By , 2011年5月18日 5:26 PM

19930804 仕事の関係で、旅行に出掛けられるほど長期の休みが取れなかったのですが、この年は夏休みと併せて10日間程度の休みが取れましたので、久し振りに夫婦2人で九州へ出掛けることにしました。休日を少しでも有効に使いたいと考え、行き帰りとも川崎-日向のフェリーを利用することにしました。しかし、台風の影響でこの計画はもろくも崩れ、帰路は台風の風雨と戦いながら、熊本から横浜を目指して延々と走り続けることになるのでした。

 上の写真は、川崎から日向に向かうフェリー(マリンエキスプレス)の1等船室の様子です。豪華ではありませんが、バス、冷蔵庫、テレビなどと共にデッキが備えられていて、快適な船旅を過ごせるようになっていました。
下の画像は、マリンエキスプレスの運航予定表です。これは、今は無くなってしまいましたが、マリンエキスプレスのホームページに掲載されていたものです。ホームページが公開されたのはもっと後年になってからですが、1993年当時と運行時間に大きな違いはなかったように思います。

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19930806_1 運行予定表でも分かりますが、日向に着くのは、出航翌日の夕方です。この時間から青島を目指しても、青島に着く頃には暗くなってしまいますので、九州での初日はシーガイアのホテルに宿泊することにしました。

 次の日は台風の影響で雨降りとなり、青島はかなり強い横なぐりの雨でした。この状況ではゆっくり参拝していられませんので、早々に青島を後にして、日南海岸を横に見ながら鵜戸神宮を目指しました。鵜戸神宮を参拝するのは、この時が初めてでしたので、昼食を摂りながらゆっくりと参拝しました。雨は相変わらず強く降っていて、その影響か、都井岬方面へ向う海岸沿いの道が通行止めになっていました。このため、迂回路になっていた南郷から串間へ抜ける山間の道を走り、やっと都井岬に辿り着くことができました。後のニュースで知ったのですが、この日、8月6日は、鹿児島で台風による大災害が発生していました。
 
19930806_3 都井岬では、駒止めの門を過ぎて直ぐに、野生馬に行く手を塞がれました。写真に写っている前を走る白い車も、彼らに足止めされていて、私達の車が近づいたためにやっと解放されたようでした。挨拶してくれるのは嬉しいのですが、もう少し手短にしていただけないかと・・・。
台風の風雨に翻弄された1日となりましたが、このようにして、何とか都井岬に着く事ができたのでした。都井岬のホテルに落ち着き、鹿児島の災害をニュースで知り、被災された方々の無事を祈らずには居られませんでした。
 
19930807_2 この旅のお供は、MR2-GTでした。この頃我が家には、父が所有しているセダンがありましたので、いい歳をして性懲りもなく2座席スポーツを購入したのでした。GTR以降、TE37レビン、ホンダシティ、セリカXXターボと、セダン系ばかり乗っていましたので、久々のスポーツカーにワクワクしたものです。

 この写真に写っているとおり、宿泊はおなじみの都井岬観光ホテルにしました。少しゆっくりしたいとの思いから都井岬では2泊することにしましたが、久し振りに訪れたホテルの凋落ぶりは痛々しいほどでした。1975年に訪れた時は、白亜の大変綺麗な建物でしたが、この時は黒く汚れた外観になっていて、建物のメンテナンスがされていないことが一目で分かりました。台風の影響もあったのでしょうが、青島周辺のお店やホテルも元気が無く、観光地宮崎の低迷ぶりを感じたものです。
 
19930807_5 都井岬には2泊し、都井岬灯台、南灯台、御崎神社などを回りました。都井岬に着いた日は強い雨降りでしたが、一夜明けて天気は回復し、2日目は日が差し込む程になりました。台風の影響からか、どこに行っても人は疎らで、御崎神社の参拝客は我々2人だけでした。

 この神社は、航海の安全と縁結びの神として知られているそうですが、他にひと気の無いことも手伝って、何か妙な感じがしました。ここを訪れるのは、この時が3度目でしたが、このように感じたのは初めてでした。霊感など一切持ち合せていない私が、何か落ち着かないそわそわした気分になり、長居してはいけないように感じたのです。前の日に、鹿児島で発生した大災害の影響があったのかもしれません。どのような形にしても、人の生き死にには大変厳粛なものを感じます。今年2011年は、東日本大震災で多くの方が亡くなられました。予期せぬ震災で命を落とされた方々に、改めて心より哀悼の祈りを捧げたいと思います。
 
19930808_1 都井岬に2泊した翌日は、風が強いものの大変良い天気になり、鹿屋を経由して、一路佐多岬を目指しました。佐多岬では、前回1975年に訪れた時と同様、展望台までの道を歩きました。散策する道の両側にはハイビスカスが咲き乱れ、久し振りに南国気分を満喫しました。この頃は未だ、展望台もしっかりとしており、ガラス窓に顔を近づけ周囲の景色を堪能することができました。

 最近、動画サイトの映像で、佐多岬の展望台が朽ち果て、今にも崩壊しそうになっているのを見ました。整備するための費用が捻出できないと言う理由で、放置されたままになっているそうです。佐多岬ほどのメジャーな場所でさえそのような状況なのですから、今後、南九州の観光地はどのようになってしまうのか心配です。何とか昔のような賑わいを、取り戻して欲しいものです。
 
19930808_3 その後、佐多岬から鹿屋方面に少し戻り、根占港からフェリーに乗り指宿へ渡ることにしました。桜島に寄りながら鹿児島湾を1周して指宿に行くコースも考えたのですが、指宿の次は霧島に宿泊する予定だったため同じコースを2度走ることになるので、桜島へ行くのは諦めることにしました。フェリーはあっと言う間に指宿に着き、宿泊するホテルを探すのに多少迷いましたが、時間を持て余すことになりました。この日の内は、天気が崩れることも無く、ホテルから見る指宿の夜景が美しかったことを憶えています。

 

19930808_4 指宿では、そんな平和な夜を過ごしたのですが、次の日は、またまた風雨の荒天となりました。指宿から一般国道を走り、鹿児島を過ぎ霧島に入る頃には風雨も一段と強くなり、立ち寄る予定にしていた観光地には寄らず、当日宿泊するホテルを目指しました。霧島のホテルに着き、明日の天気がどうなるか調べたのですが、大型の台風が来ているとのことで、荒天は避けられないことになりました。

 そうなると、川崎行きのフェリーが出航するかどうかが大きな問題になって来ます。フェリー会社に連絡すると「明日は欠航になりました」とのつれない返事が返って来ました。それからは、どうやって横浜まで帰るかに腐心することになり、地図と首っ引きで予定を考えました。手持ちの資金が心配だったこともあり、取り敢えず熊本まで出て予約していたフェリー代金の払い戻しを受けてから、九州自動車道に乗ることにしました。

 霧島に宿泊した翌日、台風は既に過ぎ去っていて、弱い雨がそぼ降っていました。台風の影響と思いますが、主要道が所々通行止めになっていたため大渋滞している場所があり、熊本まで行くのに5時間程掛かりました。やっと熊本に着いた頃には雨も止み、フェリー代金の払い戻しを受けて、ようやく九州自動車道に乗ることができました。あとは、中国自動車道、名神高速、東名高速を利用し、横浜までまっしぐらに走り続けるだけでした。

 が、事はそう簡単には進まず、何と名神高速の途中で、とっくに過ぎ去ったはずの台風に追い付いてしまったのです。夜の暗闇の中、120km/hくらいの速度で台風の中に突っ込んでしまったのですが、その途端、激しい風雨のため視界は5m程度になり、見えるのは目の前の道路の白線だけで、その先の道がカーブしているのかどうかも分からない状態に陥ってしまいました。高速道路ですから、追突される危険性を考えると速度を落としてのろのろと走るわけにも行かず、隣の車線に何が走っているか見えないため車線変更もできず、長いドライブ経験の中でも最大のピンチを迎えたのでした。こんな時、背の低い車は視界が効かず、怖い思いをすることになります。

 暫くしてフト横を見ると直ぐ近くに大型車のテールランプと、それに続く大型車のヘッドライトが後方にぼんやりと見えるではありませんか。これぞ神の救い!、そそくさと前を行く大型車の後ろに張り付くことにしました。そのテールランプを頼りに30分ほど悪戦苦闘していると徐々に視界が開け始めたので、直近のサービスエリアに入り台風が完全に過ぎ去るのを待つことにしました。この間、嫁さんは隣で熟睡していたため、怖い思いをさせずに済んだことがせめてもの救いでした。霧島からの帰路の走行距離は約1200kmでした。その距離を下道5時間+高速16時間を掛けて走ったのですが、疲れ切ってしまったのは言うまでもありません。それからの数日間は、さすがに車を運転する気にはなれませんでした。

南九州の旅-1975年

By , 2011年5月4日 11:19 AM

197511-5 Skyline GTRの記事に書いたとおり、1975年11月の南九州への旅行は、行きは東名・名神・中国自動車道、そして国道2号線を利用して陸路で熊本に入り、帰りは宮崎の日向からフェリーを利用して海路で、神奈川県の川崎に帰ると言う旅程でした。第1日目は、夕方3時頃に横浜を出て京都で1泊。2日目は、京都観光をしてから、国道2号線で広島まで行き、広島に宿泊。3日目は広島から熊本を目指し、熊本市内のホテルに宿泊しました。

 九州に入るまで随分と日数が掛かりましたが、途中途中で用事があったことと、中国自動車道が部分的にしか開通していなかったことが影響していました。1993年8月に南九州へ旅行した時は、台風の影響でフェリーが出航せず、止む無く熊本から横浜まで陸路で帰って来ました。その時は、約1200kmの距離を16時間程度で走り切ったのですが、熊本から東名の横浜インターまで、ずっと高速道路だけを走って来れましたので、この時間で帰れたのだと思います。

 旅行の4日目は、熊本から球磨川グリーンラインを通り、えびの高原経由で霧島に向いました。途中、もの凄い霧が発生し、視界が5m程度と言った状況が続いた後、やっと霧島に着きました。5日目は、霧島から桜島を通り、佐多岬に向かいました。高校の修学旅行では佐多岬に行けなかったので、この旅行では大変楽しみにしていました。

 駐車場に車を止めて、佐多岬の展望台まで結構な距離を歩きましたが、途中ハイビスカスが咲き乱れていて、南国情緒を満喫することができました。11月になれば多少なりとも寒さを覚えるものですが、佐多岬に向かう途中で子供が半ズボン、ランニングシャツ姿で遊んでいたのには驚きました。やはり南九州は温かいのだなと、実感した次第です。佐多岬を後にして、鹿屋経由で当日の宿泊地の都井岬に向かいました。
 

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197511-6 都井岬では、都井岬観光ホテル(旧国民宿舎黒潮荘)に宿泊しました。このホテルは、高校の修学旅行で宿泊した思い出のあるホテルです。修学旅行の頃は、右上の写真に写っている東館と呼ばれる建屋は無かったのですが、この時は東館が建っていました。修学旅行の時は本館が建ってから5年目、この旅行の時は東館が建ってから2年目で、両方ともとても綺麗な状態の時に宿泊することができました。

 東館ができてからは一般の宿泊客は東館、修学旅行生は本館に宿泊する形になっていたようです。この時も、修学旅行の生徒が宿泊していたようでした。写真のように、都井岬には至る所に野生馬が居て、人を見つけると興味深そうに寄って来ます。大丈夫と分かっていても、近づいて来られると噛まれそうで、思わず尻込みをしてしまいます。
 

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197511-12 6日目は都井岬から日南海岸を通り、堀切峠やサボテン公園でゆっくりと景観を楽しみながら青島を目指しました。右上の写真は、青島入口の交差点の様子を撮ったものです。Googleストリートビューを見る限り、今も変わっていないように思えます。高校の修学旅行の時は、青島に続く参道沿いに、宿泊したホテル(青島館?)が建っていたように記憶していますが、この時はそのホテルを見つけることはできませんでした。既に廃業してしまっていたのかも知れません。

 修学旅行の時、そしてこの旅行の時、青島を始めとして宮崎周辺は大変賑わっていたように思います。1993年に再度訪れた時は、台風の影響もあったのだと思いますが、何となく活気が無いように感じられたものです。サボテン公園など有名な観光スポットも次々と閉鎖され、昨年2010年には、都井岬観光ホテルも閉館になりました。近い内に、また南九州に出掛けたいと考えていますが、少しでも昔の活気が戻ることを期待して止みません。

 翌日の7日目は、宮崎サファリパークと子供の国を訪れました。宮崎サファリパークは、日本最初のサファリパークとして1975年11月1日にオープンしたそうです。私が訪れたのは、それからわずか1週間程度後のことでした。そんな状況でしたから、サファリパークの中は未だ完全に整備されておらず、広い敷地に動物が無造作に点在していると言った感じでした。そのサファリパークも、1986年11月に閉園されたそうです。
 

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 その後、サファリパーク、子供の国を後にして、日向のフェリー乗り場を目指しました。フェリーの出航は午後8時頃だったと記憶しています。日向に向かう途中の一ッ葉有料道路は大変空いていて、反対車線を走って来る数台の車とすれ違っただけでした。右上の写真は、日向細島港のフェリー乗り場です。時間が早いせいか、乗船する予定の車が、まだあまり集まっていませんでした。フェリーに乗ってから20時間後には川崎に到着し、長い旅も終りを迎えました。

 この旅行の総走行距離は約2000kmでした。GTRは一度も調子を崩すこと無く、終始快調に走り続けてくれました。家に帰り着いた翌日に、エンジンオイルの交換などを行いリフレッシュさせましたが、その後も大きな故障など無く、快調に動き続けてくれました。街中のノロノロ運転でプラグがカブるなどと言うことは一度として無く、3連のキャブレターを正確に調整してあげれば、1年程度は手付かずで乗ることができました。そうは言っても、この手の車にはやはり気を使います。それもオーナーの楽しみの一つと考え、根気良く付き合っていく努力が必要なのかもしれませんね。

Skyline GTR

By , 2011年4月27日 7:04 PM

197511-1 ロータスエランが故障し修理に出さなければいけない状況の時に、知り合いのモータージャーナリストの方が是非譲って欲しいと電話をくれました。どうしようかと逡巡していたのですが、ローダーで引き取りに行くからと連絡があり、結局売却することにしました。

 次はヨーロッパと考えていたのですが、事はそう簡単に運ばず、ホンダS800、コスモスポーツと乗り継ぎ、GTRにたどり着くことになりました。それまでは全て2座スポーツでしたが、GTRは、私が初めて買ったセダンタイプの車です。購入したのが1975年ですから、当然中古車です。しかし購入したGTRは、日産のディーラーに勤めている方がオーナーで、フロントがオーバーフェンダーになっていましたが、それ以外はオリジナルの状態を保ち、きちんと整備されていました。
 
 
197511-2 その頃は製造中止になってから既に数年経っていましたが、GTRについてのいろいろなウワサは枚挙にいとまが無いほどでした。自動車雑誌にもその手の情報が載っていて、いい加減な内容が書かれていて驚いたこともありました。そのようなウワサを余所に、GTRはいつも快調に動いてくれました。超硬派のスポーツセダンが、こんなに扱いやすいとは想像していなかったので、肩透かしを喰ったような感じがしたものです。

 私にとって、この車だったら何の心配も要らないと思える初めての車でした。それがGTRだったと言うのが笑えるところですが、それまで乗っていた車が如何に信頼性が低かったかの証明でもあります。GTRの唯一の故障は、ヒュージブルリンクが壊れて突然止まったことくらいでした。GTRは普通のスカイラインセダンとは明らかに感触が違っていて、特殊で高価で、入念に作り込まれている感じを受けました。
 
197511-3 ここに掲載した写真は、1975年11月に南九州を旅行した時のものです。バックには桜島が写っています。この時の桜島は雨で、数日前に降った火山灰が泥のようになっていて良く滑り、正に薄氷を踏むような思いでした。
 この旅行では、行きは東名・名神・国道2号線、そして部分的に開通していた中国自動車道を走り熊本に入り、帰りは宮崎の日向から川崎行きのフェリー(マリンエキスプレス)を利用しました。2005年6月までは川崎-日向間の直通フェリーが運航されていて、運賃が多少高いことを除けば、良い船旅を満喫できました。
 
197511-4 右の写真も、同じ時のものです。場所は都井岬で、都井岬観光ホテル(旧黒潮荘)の駐車場で撮影しました。南九州は、1969年に高校の修学旅行で訪れた地で、非常に思い出深いところです。その後1993年にも車で訪れましたが、状況が許せば、近い内にまた行ってみたいと思います。GTRでは、その後もあちこち走り回り、整備もぬかりなく行いました。町の修理屋さんでは、タペット調整のためのシムがなかなか手に入らないなどと言うこともありましたが、当時品川にあった日産スポーツコーナーに持ち込めば、大抵のリクエストには答えてもらえました。

 今振り返ってみると、GTRは日産が魂を込めて作った車だったのだと思えます。普通のスカイラインと同じ形をしているので分かり難いのですが、全く別の種類の車、と言った方がよいのではないかと思います。しかし、ストックのままでの性能は大したことはなく、加速性能も高速性能もスペックから予想できるほどのものではありませんでした。あくまでレーシングカーのペース車両に過ぎないと、日産は本気で考えていたのでしょう。

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