Category: Skyline GTR

南九州の旅-1975年

By , 2011年5月4日 11:19 AM

197511-5 Skyline GTRの記事に書いたとおり、1975年11月の南九州への旅行は、行きは東名・名神・中国自動車道、そして国道2号線を利用して陸路で熊本に入り、帰りは宮崎の日向からフェリーを利用して海路で、神奈川県の川崎に帰ると言う旅程でした。第1日目は、夕方3時頃に横浜を出て京都で1泊。2日目は、京都観光をしてから、国道2号線で広島まで行き、広島に宿泊。3日目は広島から熊本を目指し、熊本市内のホテルに宿泊しました。

 九州に入るまで随分と日数が掛かりましたが、途中途中で用事があったことと、中国自動車道が部分的にしか開通していなかったことが影響していました。1993年8月に南九州へ旅行した時は、台風の影響でフェリーが出航せず、止む無く熊本から横浜まで陸路で帰って来ました。その時は、約1200kmの距離を16時間程度で走り切ったのですが、熊本から東名の横浜インターまで、ずっと高速道路だけを走って来れましたので、この時間で帰れたのだと思います。

 旅行の4日目は、熊本から球磨川グリーンラインを通り、えびの高原経由で霧島に向いました。途中、もの凄い霧が発生し、視界が5m程度と言った状況が続いた後、やっと霧島に着きました。5日目は、霧島から桜島を通り、佐多岬に向かいました。高校の修学旅行では佐多岬に行けなかったので、この旅行では大変楽しみにしていました。

 駐車場に車を止めて、佐多岬の展望台まで結構な距離を歩きましたが、途中ハイビスカスが咲き乱れていて、南国情緒を満喫することができました。11月になれば多少なりとも寒さを覚えるものですが、佐多岬に向かう途中で子供が半ズボン、ランニングシャツ姿で遊んでいたのには驚きました。やはり南九州は温かいのだなと、実感した次第です。佐多岬を後にして、鹿屋経由で当日の宿泊地の都井岬に向かいました。
 

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197511-6 都井岬では、都井岬観光ホテル(旧国民宿舎黒潮荘)に宿泊しました。このホテルは、高校の修学旅行で宿泊した思い出のあるホテルです。修学旅行の頃は、右上の写真に写っている東館と呼ばれる建屋は無かったのですが、この時は東館が建っていました。修学旅行の時は本館が建ってから5年目、この旅行の時は東館が建ってから2年目で、両方ともとても綺麗な状態の時に宿泊することができました。

 東館ができてからは一般の宿泊客は東館、修学旅行生は本館に宿泊する形になっていたようです。この時も、修学旅行の生徒が宿泊していたようでした。写真のように、都井岬には至る所に野生馬が居て、人を見つけると興味深そうに寄って来ます。大丈夫と分かっていても、近づいて来られると噛まれそうで、思わず尻込みをしてしまいます。
 

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197511-12 6日目は都井岬から日南海岸を通り、堀切峠やサボテン公園でゆっくりと景観を楽しみながら青島を目指しました。右上の写真は、青島入口の交差点の様子を撮ったものです。Googleストリートビューを見る限り、今も変わっていないように思えます。高校の修学旅行の時は、青島に続く参道沿いに、宿泊したホテル(青島館?)が建っていたように記憶していますが、この時はそのホテルを見つけることはできませんでした。既に廃業してしまっていたのかも知れません。

 修学旅行の時、そしてこの旅行の時、青島を始めとして宮崎周辺は大変賑わっていたように思います。1993年に再度訪れた時は、台風の影響もあったのだと思いますが、何となく活気が無いように感じられたものです。サボテン公園など有名な観光スポットも次々と閉鎖され、昨年2010年には、都井岬観光ホテルも閉館になりました。近い内に、また南九州に出掛けたいと考えていますが、少しでも昔の活気が戻ることを期待して止みません。

 翌日の7日目は、宮崎サファリパークと子供の国を訪れました。宮崎サファリパークは、日本最初のサファリパークとして1975年11月1日にオープンしたそうです。私が訪れたのは、それからわずか1週間程度後のことでした。そんな状況でしたから、サファリパークの中は未だ完全に整備されておらず、広い敷地に動物が無造作に点在していると言った感じでした。そのサファリパークも、1986年11月に閉園されたそうです。
 

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 その後、サファリパーク、子供の国を後にして、日向のフェリー乗り場を目指しました。フェリーの出航は午後8時頃だったと記憶しています。日向に向かう途中の一ッ葉有料道路は大変空いていて、反対車線を走って来る数台の車とすれ違っただけでした。右上の写真は、日向細島港のフェリー乗り場です。時間が早いせいか、乗船する予定の車が、まだあまり集まっていませんでした。フェリーに乗ってから20時間後には川崎に到着し、長い旅も終りを迎えました。

 この旅行の総走行距離は約2000kmでした。GTRは一度も調子を崩すこと無く、終始快調に走り続けてくれました。家に帰り着いた翌日に、エンジンオイルの交換などを行いリフレッシュさせましたが、その後も大きな故障など無く、快調に動き続けてくれました。街中のノロノロ運転でプラグがカブるなどと言うことは一度として無く、3連のキャブレターを正確に調整してあげれば、1年程度は手付かずで乗ることができました。そうは言っても、この手の車にはやはり気を使います。それもオーナーの楽しみの一つと考え、根気良く付き合っていく努力が必要なのかもしれませんね。

Skyline GTR

By , 2011年4月27日 7:04 PM

197511-1 ロータスエランが故障し修理に出さなければいけない状況の時に、知り合いのモータージャーナリストの方が是非譲って欲しいと電話をくれました。どうしようかと逡巡していたのですが、ローダーで引き取りに行くからと連絡があり、結局売却することにしました。

 次はヨーロッパと考えていたのですが、事はそう簡単に運ばず、ホンダS800、コスモスポーツと乗り継ぎ、GTRにたどり着くことになりました。それまでは全て2座スポーツでしたが、GTRは、私が初めて買ったセダンタイプの車です。購入したのが1975年ですから、当然中古車です。しかし購入したGTRは、日産のディーラーに勤めている方がオーナーで、フロントがオーバーフェンダーになっていましたが、それ以外はオリジナルの状態を保ち、きちんと整備されていました。
 
 
197511-2 その頃は製造中止になってから既に数年経っていましたが、GTRについてのいろいろなウワサは枚挙にいとまが無いほどでした。自動車雑誌にもその手の情報が載っていて、いい加減な内容が書かれていて驚いたこともありました。そのようなウワサを余所に、GTRはいつも快調に動いてくれました。超硬派のスポーツセダンが、こんなに扱いやすいとは想像していなかったので、肩透かしを喰ったような感じがしたものです。

 私にとって、この車だったら何の心配も要らないと思える初めての車でした。それがGTRだったと言うのが笑えるところですが、それまで乗っていた車が如何に信頼性が低かったかの証明でもあります。GTRの唯一の故障は、ヒュージブルリンクが壊れて突然止まったことくらいでした。GTRは普通のスカイラインセダンとは明らかに感触が違っていて、特殊で高価で、入念に作り込まれている感じを受けました。
 
197511-3 ここに掲載した写真は、1975年11月に南九州を旅行した時のものです。バックには桜島が写っています。この時の桜島は雨で、数日前に降った火山灰が泥のようになっていて良く滑り、正に薄氷を踏むような思いでした。
 この旅行では、行きは東名・名神・国道2号線、そして部分的に開通していた中国自動車道を走り熊本に入り、帰りは宮崎の日向から川崎行きのフェリー(マリンエキスプレス)を利用しました。2005年6月までは川崎-日向間の直通フェリーが運航されていて、運賃が多少高いことを除けば、良い船旅を満喫できました。
 
197511-4 右の写真も、同じ時のものです。場所は都井岬で、都井岬観光ホテル(旧黒潮荘)の駐車場で撮影しました。南九州は、1969年に高校の修学旅行で訪れた地で、非常に思い出深いところです。その後1993年にも車で訪れましたが、状況が許せば、近い内にまた行ってみたいと思います。GTRでは、その後もあちこち走り回り、整備もぬかりなく行いました。町の修理屋さんでは、タペット調整のためのシムがなかなか手に入らないなどと言うこともありましたが、当時品川にあった日産スポーツコーナーに持ち込めば、大抵のリクエストには答えてもらえました。

 今振り返ってみると、GTRは日産が魂を込めて作った車だったのだと思えます。普通のスカイラインと同じ形をしているので分かり難いのですが、全く別の種類の車、と言った方がよいのではないかと思います。しかし、ストックのままでの性能は大したことはなく、加速性能も高速性能もスペックから予想できるほどのものではありませんでした。あくまでレーシングカーのペース車両に過ぎないと、日産は本気で考えていたのでしょう。

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